1999年に発生した「桶川ストーカー殺人事件」をきっかけとした「ストーカー規制法」から2013年6月「ストーカー規制法改正」のきっかけとなった2011年12月に長崎県で発生したストーカー殺人事件。
被害者は元交際相手ではなく、その母と祖母が殺害された事件だ。
さらにこの、長崎ストーカー殺人事件は、「桶川ストーカー殺人事件」と、類似する点がある。
それが、警察へ被害を相談していたにも関わらず、警察の怠慢により未然に殺人事件を食い止めることができなかった。
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長崎ストーカー殺人事件の真実<事件概要>
2011年12月16日長崎県西海市の山下誠さん(58)方で、敷地内のワゴン車の荷台から妻の美都子さん(当時56歳)と母の久江さん(同77歳)が刺殺されているのが見つかった。
殺害したのは、誠さんの三女の元交際相手 筒井郷太容疑者(当時27歳)の犯行だった。
長崎ストーカー殺人事件の真実<犯行に至る過程>
2011年2月下旬、三女と筒井郷太容疑者がインターネットの会員制サイトをきっかけに交際を始める。
しかし、付き合いが半年経つ頃、筒井から暴力をうけるようになる。
しかも筒井の束縛は異常なレベルだった。
- 三女より先にメールチェックする。
- 勝手に友人や家族と連絡をしてはいけない。
- 勤務中の出来事を10-15分おきに電話やメールで報告
連絡が遅れたり、帰宅が遅いと顔や頭を殴る蹴る等の暴力が激しさを増した。
そして筒井から離れたら、三女に関わる全ての人間を殺すと脅迫。
三女は逃げることもできず、「被虐待女性症候群」となった。
つまり事実上の監禁状態。
2011年10月29日に三女の父・誠さんが長崎・千葉の両県警に相談。
翌日の30日には三女の部屋に三女の親族、同僚と習志野署員2人が突入して三女を保護。
警察は筒井を任意同行し「二度と近づかない」との誓約書を書かせた。
しかし翌日には筒井から三女に脅迫メールが送られた。
見かねた誠さんが自宅に三女を連れて帰ることにした。
長崎ストーカー殺人事件の真実<ずさんな対応>
11月に入ると誠さんと三女は、長崎県警西海署に傷害の被害届けを出したいと相談するが、事件の起こった管轄に相談するように言われ、千葉県警習志野署に電話で相談。
一方の筒井は11月頃に三女の知人たちに「三女の連絡先を教えないと周囲の人を殺して取り戻す」といった脅迫メールを送っている。
西海署と習志野署に相談するが双方「被害者の所在地の警察署に相談をするように回答」
また、筒井の実家がある三重県警桑名署にも父と三女は相談する。
同署は「西海、習志野署に確認する」と答えたのみ。
結局、どの管轄署でも被害者を救う動きはなかった。
長崎ストーカー殺人事件の真実<法を変えた警察の対応>
12月から三女は、習志野署に被害届を出したいと再度、電話相談。
その電話の後、12月6日に三女と誠さんが習志野警察署を訪れるが、刑事課が一人も空いていないので1週間待つように回答。この1週間の理由は、刑事課の慰安旅行のためだった。
12月8日から10日まで、生活安全課の課長、父親に「待ってほしい」と伝えた係長などを含む12人が、北海道の慰安旅行に行っていたことが後に発覚。
しかもこの間、9日未明に三女宅をチャイムを鳴らしたりベランダを叩く音がする被害が発生している。
通報後、三女宅前をうろつく筒井に職務質問するが両親に連れて帰るように指示をするにとどまっている。
その後、筒井は父親を殴り、母親の携帯を奪って消息不明となった。
長崎ストーカー殺人事件の真実<事件発生>
12月16日午後6時ごろ、筒井はウエストポーチの中に包丁2本を持ち誠さん方離れの窓ガラスを割って自宅に侵入。
誠さんの母 久江さんの胸や腹を包丁で数回刺して殺害。
更にその後、母屋の窓ガラスを割り、妻の美都子さんを包丁で十数回メッタ刺しにして殺害。
敷地内のワゴン車の荷台から遺体を隠し逃走。
死因はいずれも失血死だった。
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長崎ストーカー殺人事件の真実<犯行後>
事件翌日午前、警察は筒井容疑者を長崎市内のホテルで見つけ、任意同行の後、逮捕。
筒井はその後、無罪を主張するも、2016年7月に死刑が確定。
三女は4回公判で出廷し、「死刑で足りない」と涙ながらに語った。