【秋葉原通り魔連続殺傷事件】加藤智大の素顔と犯行の真相

歩行者5人をはね、通行人・警察官ら14人を持っていたダガーで立て続けに無差別に刺し、7人を殺害した加藤智大元死刑囚。

加藤智大の素顔と犯行の真相とは

2008年に秋葉原の駅前で起こった連続殺傷事件

この白昼の惨劇を起こしたのが加藤智大死刑囚

傾向として大きな事件を起こした犯人というものは裁判では多くを語らない。

しかし加藤智大元死刑囚の場合は違った。

裁判では加藤智大元死刑囚はとても嬉しそうだったと傍聴人は振り返っている。

加藤智大元死刑囚は裁判長とか弁護人、検事から質問されてる時には答えたくてしょうがなくいのが目にみてわかるほどすごく嬉しそうであった。

そこには理由があった。

加藤智大元死刑囚には報道では語られなかった真実を伝えたかったのだったから。

世間を震撼させた通り魔事件の裁判で報道とは異なる、ある重大な供述が裁判で飛び出している。

その驚くべき供述とは。

【秋葉原通り魔連続殺傷事件】加藤智大の犯行の真相

事件直後の報道では加藤智大元死刑囚は派遣社員だった加藤智大元死刑囚が派遣切りされてその社会への復讐が犯行動機であるというものだった。

しかし、裁判に入ると「その犯行動機は違うんです。」ということを加藤智大元死刑囚はすごく訴えた。

派遣切りによる社会への復讐だと報じられていたのが、法廷で加藤被告が語った衝撃的な真の動機とは。

加藤智大の屈折した犯行動機

加藤智大元死刑囚はネット掲示板で自分のスレッドを立てそれに対して罵倒してくるような人たちとスレッドを楽しんでいた。

そんなある日「俺は加藤だ」と自分のなりすましが現れて自分のスレッドを乗っ取られた。

それが直接的な犯行動機なのだという。

常人には考えられない犯行動機だ。

本人曰く、ネット掲示板を占拠され、仲間との交流の場を奪われたことがとにかくつらかったのだという。

その状況をなんとかしたい「俺が本当の加藤なんだ」というのを証明するために事件の当日に「今から秋葉原に突っ込みます」と犯行予告を書き込み実際に事件を起こしたのだ。

実際その事件を起こして、それが本物の加藤だったっというのがわかり加藤智大元死刑囚は満足しているのだ。

加藤智大元死刑囚のネットへの書き込み時系列

6/8  05:21
車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。
みんなさようなら6/8 09:48
神奈川入って休憩

いまのとこ順調かな

6/8 10:53
酷い渋滞

6/8 11:07
渋谷ひどい

6/8 11:17
こっちは晴れてるね

6/8 11:45
今日は歩行者天国の日だよね?

6/8 11:45
秋葉原ついた

6/8 12:10
時間です

加藤智大元死刑囚は犯行を実況中継することでネット上で自分の存在を知らしめようとしていた。

さらに「秋葉原通り魔事件」の裁判中、傍聴席が怒りに震えた瞬間があった。

加藤智大元死刑囚が遺族にあてて謝罪の手紙を読み上げた。

それを聞いた秋葉原通り魔事件遺族が大激怒

加藤智大元死刑囚が遺族にあてた、その衝撃の手紙の内容とは

 このたびは本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません。
おわびすることが皆さまの心情を害するのではないかと悩んでいるうちに一年が経過してしまいました。遅々として進まない裁判に皆さまの怒りも限界ではないかと考え、謝罪すべきだという結論に至りました。
謝罪する意思は本当に自分の感情なのか、ということをいろいろ考えましたが、反省している自分が存在していることは否めません。きれい事を並べた謝罪文のような形式だけの謝罪は皆さまへの冒瀆でしかなく、本心からの謝罪なのか、自問しながら書いています。 私には事件の記憶がほとんどありませんが、やったことに間違いはなく、罪から逃れるつもりはありません。私の非はすべて私の責任であり、その責めはすべて私が受けねばなりません。
私の非は、皆さまに通常ではあり得ない苦痛を与えたことです。人生を変化させたり、断ち切ったりしたことです。皆さまの人生を壊してしまい、取り返しのつかないことをしたと思っています。
家族や友人を理不尽に奪われる苦痛を想像すると、私の唯一の居場所だったネット掲示板で、「荒らし行為」でその存在を消された時に感じたような、我を忘れる怒りがそれに近いのではないかと思います。もちろん比べられるものではありませんが、申し訳ないという思いが強くなります。
被害を受けてなお、私に同情を示してくれるような方を傷つけてしまったと思うと、情けなくて涙が出ます。一命はとりとめたものの、障害が残った方にはおわびしようがありません。
どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に価するもので、当然死刑になると考えます。
ですが、どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明することが皆さまと社会に対する責任であり、義務だと考えています。真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件が二度と起らないようにすることで償いたいと考えています。
いつ死刑が執行されるか分かりません。死刑の苦しみと皆さまに与えた苦痛を比べると、つりあいませんが、皆さまから奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています。
このような形で、おわびを申し上げさせていただきたいと存じます。申し訳ありませんでした。

(中日新聞11月7日記事)

つまり、
「あなたたちの気持ちはとっても僕、実はよくわかるんです」

「僕もネットの掲示板で自分という人間を一度殺されたことがあるので同じですよね」

加藤被告の論理としては

【ネットの世界で存在を無視される=現実の世界で命を奪われる】なのである。

本人としては反省はしているが、やはり常軌を逸脱した考え方と行動には理解を示すこともできず同情の余地はない。

【秋葉原通り魔連続殺傷事件】加藤智大の素顔

第一審の東京地裁で母親の教育が加藤智大元死刑囚の人格形成に大きく影響を与えたと認定している。

裁判で自分が正しいと思い込み教育してきた母親にとってショックであったことは予想に難くない。

母親は加藤智大元死刑囚や弟に対し常に完璧を求めた。

作文は一文字でも間違えたり、読めない汚い字があると、ゴミ箱に捨てて最初から書き直し。

友達を招き入れること、友達の家に行くことも禁止され、テレビ、漫画、雑誌も禁止。ゲームは土曜日に1時間だけ。

幼少からそのような教育を受ければ、それが当然のルール、すなわち絶対適従属の関係性が当たり前の環境だった。

弟自身も家庭環境が異常であった事実を知ったのも、高校に入ってからだったと事件後に語っている。

作文の文字を間違えて書けばゴミ箱に捨てられるような教育を同様に受けていた弟は事件から6年後に事件をきっかけに自殺した。

本人の意思と違った報道と真実

秋葉原通り魔連続殺傷事件が起こった当初は加藤智大の社会に馴染めず孤独感が増大していった末での犯行である内容で報道されることが多かった。

しかし、真実は違った。

加藤智大死刑囚は友人には人並にめぐまれていた。

職を転々としていた加藤智大死刑囚は、一時期は友人のアパートに転がりこんでいたこともあり、彼女がいた時期もあった。

職場でも先輩で恵まれていた時期もあった。

ある日、先輩に対し失礼な質問をして、怒られたことがある。

その場で加藤智大死刑囚と真摯に向き合い、加藤智大死刑囚は号泣しながら謝り、それからその先輩を慕うようになったということもあった。

このことから世間で認識される孤独の末の犯行、というのは当てはまらない。

つまり世間の認識される素顔とは一致しないのだ。

現実社会が居心地の悪いものでバーチャルな世界がその逆であったというならば、少しは納得がいく。

しかし、加藤智大死刑囚は職を転々としてたという事実はあるものの、なぜバーチャルなネット環境にそこまで固執し、人を殺すという事件を起こさせるまでに至ったのか、理由は未だ謎だ。

結局のところ、秋葉原通り魔連続殺傷事件の核心的な部分については未だわからないままなのだ。

加藤 智大手記『解 (Psycho Critique)』から素顔を読み解く

2012年加藤 智大自身の手記『解 (Psycho Critique)』が発売されている。

そこから見えたこと。

加藤智大死刑囚は事件を起こすことによって極刑を望んでいたワケではない。

社会(=ネット)からの孤立つまり、社会(=ネット)からの抹消の恐怖が耐えがたく、それより肉体的な死の方がまだ救いがあると思えたのではと感じた。

自分の極刑以上に社会(=ネット)からの抹消が辛かったのではないか。

加藤智大死刑囚は成りすましらを心理的に攻撃したと断言している。

秋葉原の通行人はその目的のための道具でしかなかった。

もちろん犠牲になった被害者の人たちに対して謝罪の言葉を述べているものの、何も響かず、理解のできる点はなかった。

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