1988年12月4日午前9時30分頃、福岡県飯塚市明星寺の市営団地に住む小学校1年生の女児 (7歳) が自宅近くの公園で弟と遊び、自宅から約100mの場所に住む久間三千年(くま みちとし)元死刑囚 (当時50歳) の家に立ち寄った後、行方がわからなくなった。
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福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件【飯塚事件】
女児が行方不明になってから4年後の1993年2月、女児と同じ小学校に通っていた1年生の女の子2人が誘拐され、殺害される事件が起きている。
この事件では女児が行方不明直前に立ち寄った無職 久間三千年元死刑囚が逮捕、起訴された。
警察ではこの久間三千年元死刑囚が女児の行方不明に関与しているとみて、ポリグラフを実施。
1994年11月11日にポリグラフで反応のあった市営団地から西へ約1キロの龍王山 (標高616m) の雑木林で女児が行方不明時に着ていたジャンパーとトレーナーが発見された。
久間三千年元死刑囚は2008年に死刑判決が確定し執行されている。
しかしこの飯塚事件には冤罪事件の可能性が逮捕当時から疑われている。
- 目撃証人を誘導し、久間の車を目撃したという内容の証言をねつ造した可能性がある
- 1994年4月、久間の車の後部座席シートから被害者の血痕が検出されたが、実はその1年半余り前、福岡県警が久間の車の中をルミノール検査した際には検出されていない。
- 2006年に最高裁で死刑が確定。そして2008年10月、死刑が執行された。判決確定から執行まで2年余というのは、ここ最近では異例の速さであり、証拠が不十分で死刑が執行された。不自然さが残る。
- 2012年唯一存在するDNA型を撮影したネガフィルムという検証可能な証拠を、福岡地裁が保管していた科警研から取り寄せ、弁護団に開示。弁護団がネガの解析を依頼したところ、ネガには、公判で証拠採用されたDNA鑑定書の写真よりも広範囲の写真が写っており、カットされた部分には第三者のDNA型が写っていた。それは真犯人が存在する可能性を意味し、また警察側がDNA型を隠ぺいした事実にもなり得る。
死刑執行の1年後、久間三千年元死刑囚の妻が福岡地裁に再審請求。
2014年3月に棄却されるも、現在も福岡高裁で再審請求即時抗告審が行われている。
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福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件【松野愛子ちゃん】
久間三千年元死刑囚がなぜ松野愛子ちゃんの失踪に疑いをもたれているのか。
それは失踪する直前に久間三千年元死刑囚の自宅を寄ってから失踪したということ。
久間三千年元死刑囚は松野愛子ちゃんと会っていたことは認めるも、行方不明について関与を否定した。
なぜ松野愛子ちゃんと会う必要があったのか?という疑惑についても否定はできない。
いずれにせよ、松野愛子ちゃんの失踪については未だ未解決の行方不明事件である。