1973年7月3日から熊本県菊陽町に住む猪原修くん(5歳) が行方不明になった。
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熊本県菊陽町5歳男児行方不明事件【猪原修くん】
母親(42歳) が出産間近のために隣町の大津町の病院に入院していたため、男児はすし店勤務の父親 (42歳)と一緒に母親を見舞うため病院に来ていたが、父親が目を離した3日午後3時頃から行方が分からなくなった。
病院近くの用水路や川、山林などを探したが手がかりはなかった。
熊本県菊陽町5歳男児行方不明事件【差出人不明の手紙】
2年をすぎた1975年6月16日午前10時頃、両親のもとに男児を車ではね遺体を山中に遺棄したという内容の手紙が届いた。
手紙では
「僕は当時19歳だったが、2年前、大津町内の旧国道57号で雨のために車がスリップして、お宅の坊やをはねて殺した。当時は免許を取得したばかりで、車も買って3日目。親にしかられるのが怖くて遺体は近くの山の中に埋めた」
という趣旨の内容だった。
差出人の名前や遺体を埋めた詳細な場所は書いてなかった。
宛名、宛先、文書ともボールペンのカタカナ書きで、大学ノートの1ページを切り取り、その片面に書かれていた。
消印は熊本県阿蘇町内の赤水郵便局で、白い2重封筒やノートの紙は油をつけたような痕があり、黄色く変色しツヤが出ていた。
警察では指紋を消すための細工をしたとみている。
手紙に書かれた天候などの内容が男児の行方不明時の状況と一致することから警察は一定の信用性を持って捜査を開始。
消印のあった郵便局の周辺の人物の可能性もあるとみて、免許交付時期などから手紙の差出人を調べたがわからなかった。
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熊本県菊陽町5歳男児行方不明事件【猪原修くんの失踪時情報】
修ちゃんの服装は、白い半ズボン、白の半そでシャツで、素足と思われる。