『もう一つの3億円事件』
今から30年以上前、組織ぐるみの3億円強奪事件が発生した。
警察が総力を上げて追った犯人とは?
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有楽町三億円事件<事件発生>
1986年11月25日、東京・有楽町、交通会館前で現金輸送車が襲われ、三億円三千万円が強奪された。
この事件は府中で発生し時効を迎えた3億円事件後の“第二の三億円事件”と呼ばれた。
事件の一報はすぐさま警視庁に届けられた。
現場の指揮をとるのは『指紋の神様』と言われる警視庁鑑識課指紋係 塚本宇平。
午前9時ころ、警視庁鑑識課が現場に到着し、ただちに現場検証にはいった。
鑑識の塚本は長年の経験から、この事件現場から犯人につながる指紋は出るとは思っていなかった。
またもう一人、特捜本部の指揮を執ることになったのが、捜査一課の緒方保範。
その風貌から『赤鬼』と呼ばれる捜査一課凄腕の刑事。
塚本宇平、緒方保範たちはどのように犯人逮捕までに至ったのか。
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有楽町三億円事件<捜査>
今回、緒方の捜査方針は遺留品を絞り込むことだった。
一方で、新券から検出された指紋に絞り込んだ鑑識に安閑が待ち受けていた。
捜査は意外なところで壁にぶち当たる。
造幣局の組合が指紋の照合に反対したのだ。
鑑識が指紋をとれば、警視庁に逮捕される。それが個人のプライバシーの侵害になるから協力はできないというのだ。
そこで2人が考え出した方法とは
鑑識課員が造幣局に出向いて指紋をとり、発見された千円札の指紋とその場で指紋を照合する。
もし、指紋が合わなければ本人たちの目の前で採取した指紋を破り捨てる。
これならプライバシーの侵害にはならない。
そして銀行員、造幣局のものとも照合しない、謎の指紋が6つ浮かびあがった。
指紋課はその6つの指紋にAFISにかけた。
AFISとは警察庁にある指紋自動識別システム。
府中の3億円事件の時にはなかったコンピューターでの指紋自動識別システムが導入されていたのだ。
当時とは比べ物にならないスピードで保管されている膨大な犯罪者との指紋の照合が行われた。
しかしこのAFISにヒットする指紋はなかった。
犯人は犯罪歴がないもの、またこの指紋が犯人のものではないことも考えられた。
塚本たちは、まだこの段階で真犯人は想像をはるかに超えたとてつもない組織の人間であることは知る由もなかった。
一方捜査本部では遺留品を今回の事件のために手に入れた犯行用のものと、以前から使っていた生活用のものとに分けていた。
もちろん、生活に使っていた物の方が犯人に近づける。
そこで緒方が注目したものは逃走車両に残された『毛布』だった。
毛布のタグの形態からレンタル会社が割り出せると仮定し捜査。
それをもとに六本木・赤坂地区のレンタル会社を捜査することにした。
犯人が生活に使っていたであろう毛布。
この先に犯人の手がかりがあると緒方は確信していた。
捜査一課は毛布や布団を貸し出すレンタル会社を徹底的に捜査した。
そして外国人専門に貸し出している会社にあたったところ、同じタイプのタグがついた毛布が見つかった。
この時初めて、外国人の影が浮かびあがった。
毛布の貸し出し先は49件。
捜査一課はこの49件を捜査。
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有楽町三億円事件<招かざる来日>
実はこの事件が起こる前、ある男が日本にやってきていた。
名は『フィリップ・ジャマン』
フランスのギャング組織の大幹部。
ジャマンの一味は銀行強盗、自動車強盗、絵画の盗難密売など、ありとあらゆる犯罪に手を染める一団だった。
そう、この男こそ有楽町三億円事件の主犯格なのだ。
フィリップ・ジャマンは盗んだ名画を売りさばくために来日。
しかし、なかなか買い手が見つからなかった。
せっかく盗んだ絵画も現金にならない。そこでフィリップ・ジャマンは3人の仲間を巻き込む。
ティフラ・ノルディン、リシャール・ルロワ、ユセフ・キルーン。
フィリップ・ジャマンは気心が知れた3人の仲間とある計画を立てた。
そしてレンタカー会社から車を借り、銀行を回る現金輸送車を尾行した。
現金輸送車は決められた時間とルートで銀行を回ることがわかった。
『有楽町』ここで現金を下ろすところを襲撃する
こうして、日本でフランス人が現金輸送車を襲う大胆極まりない計画が実行されることとなった。
三菱銀行の現金輸送車が有楽町支店到着、警備員が現金を渡すために後部のハッチを開けた瞬間、ヘルメットで覆面した姿の3人が催涙スプレーで行員を襲撃。
現金を強奪しワゴンで逃走し3億3千万円は雑踏の中に消え去った。
ジャマン一味は西銀座地下駐車場に車を止め、3億3千万円が入ったジュラルミンケースから現金をカバンにつめ替え、作業は目撃者もなく、素早く終了。
残されたワゴン車の中には犯行に使われたヘルメットの他、マイケルジャクソンの人面マスクなど、数々の遺留品が残されたままだった。
警察が3億円事件の捜査本部を設置した頃、成田空港にはフィリップ・ジャマンと仲間たちの姿があった。
フィリップ・ジャマン一味は犯行後、その足で海外逃亡。
その時、邪魔だった千円札、1万5千枚はその場で捨てた。
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有楽町三億円事件<関連する射殺事件>
捜査一課は大使館や外国人専門の不動産屋で聞き込みを開始していた。
塚本は6つの指紋の捜査、緒方は49件の布団の貸出先を捜査していた。
1987年7月5日。
事件発生からおよそ7カ月が経過し、“第二の三億円事件”は世間からの風化されつつあった頃、犯人につながる手がかりも見つからず“第二の三億円事件”は迷宮入りするかと思われた。
ちょうどその頃フランスで衝撃的事件が発生していた。
フランスパリ北部 オルネスーボア町で1人の男が射殺された。
射殺されたのはリシャール・ルロワ。“第二の三億円事件”犯人の一人だった。
リシャール・ルロワは仲間割れから口を封じ込まれるため、射殺された。
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有楽町三億円事件<執念の捜査>
“第二の三億円事件”から9か月後、49件の毛布の貸し出し先を捜査していた捜査一課は49件の貸し出し先を突き止め、シロであることを確認した。
東京・麻布。外国人4人が借りたというウィークリーマンションに辿りつき、さらに不動産会社に確認。
すると不動産会社から重要な証言を得ることができた。
「100万円を出すから部屋を貸してくれという外人がきた。外人は日本語が話せなかった。」
緒方はこの情報から不動産会社から近くの銀行で両替したと推測。その際に求められるパスポートの提示から犯人を割り出すことができないか調べた。
近くの銀行を調べると、それにあたるフランス人の人物に辿りついた。
そして銀行で提示されたパスポートをフランス当局に送って捜査協力を得たところ、パスポートの写真と一致する犯罪歴のあるフランス人の指紋が送られてきた。
そのフランス人の指紋を塚本は6つの指紋と照合。
とうとうフィリップ・ジャマンにたどり着いたのだ。
1987年10月フィリップ・ジャマン一味は国際指名手配され、国際刑事警察機構によって1988年4月潜伏先のメキシコで逮捕し、ティフラ・ノルディン、ユセフ・キムーンの他2名はフランスで逮捕された。
府中の3億円事件の二の舞にはさせないと、塚本宇兵と緒方保範の執念の捜査が実を結び“第二の三億円事件”は犯人を逮捕することができたのだ。