日本犯罪史上初の手製毒ガスを使った保険金殺人事件

この手製毒ガス保険金殺人事件は一酸化炭素を用いた毒ガスの保険金目当ての殺人事件として日本で初めてのケースである。

手製毒ガス保険金殺人事件<概要>

時は1973年3月20日午前2時半頃、山形市釈迦堂に住む、Y(45)は3日前からシイタケ栽培を始めたビニールハウス内に妻(43)とともに行き、保温用に練炭火鉢2個を使っていたことから安全のために防毒マスクを付けた。

Yは通常マスクを用い、なんと妻には無臭の一酸化炭素を詰め込んだ袋がつながっていた毒マスクを着けさせた。

妻は一酸化炭素を吸い込み、その直後死亡。

Yはマスクを取り外し、警察へ通報。一酸化炭素中毒による事故死として処理された。

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手製毒ガス保険金殺人事件<犯行後のYの行動>

Yは3ヶ月後の6月28日に子連れの女性(41)と再婚。

Yの友人が元気を出してほしいとYの為に、奔走した相手であった。

Yはその時妻の死亡によって振り込まれた8000万円の保険金を得ていた。

奪った金は、商品相場につぎ込んで浪費。

Yは当時、郵便局の保険は各地方のブロックで管轄が違うという事と簡易保険は厳密な審査はないが、同一ブロック内での加入契約の制限があるという情報を知っており、別のブロックでの契約をして保険金を詐取していたのだ。

しかし、ツメが甘かった。

手製毒ガス保険金殺人事件<保険金詐取による逮捕>

東北郵政監査局は8月ごろ、東北ブロック以外の地域から保険金が振り込まれていたことに不信を抱き、警察と連携を取って捜査に乗り出す。

捜査の結果、Yはなんと山形を含む7県で契約をしていたが、契約時に妻本人ではなく替え玉を使ったことが判明。

また長女にも替え玉を使って1972年10月から12月にかけて大量の保険金をかけていたが、妻の死後に解約している。

事件からおよそ1年後の1974年3月29日、Yは妻死亡時の保険金詐欺で逮捕される。

Yは罪を認め、詐欺の対象となった6000万円分について山林を処分するなどして弁償した。

手製毒ガス保険金殺人事件<殺人容疑による再逮捕>

あくまでもこれは別件逮捕であり、警察の追求事件は殺人事件。警察は当初から殺人事件の重要人物としてマークしていたのだ。

4月7日、殺人罪でYは再逮捕された。

1975年1月29日、山形地裁で求刑通り無期懲役判決が言い渡されている。

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人の欲求というものは、時として生きる活力にもなれば、こういった事件のように愛する家族でさえ手に掛けてしまう。

どちらに振れても人の欲求は強いエネルギーを持つ。

40年以上も前の保険金を狙った殺人事件であるが、未だ保険金を狙った殺人事件はなくなっていない。

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