愛知県名古屋市親子ら3人行方不明事件【ルメイヤス・科乃さん】

1989年7月26日午後から愛知県名古屋市千種区城山町に住むルメイヤス・科乃(しなの)さん (30歳)と長男ダライくん (3歳) の行方が分からなくなり、その後親子と同居している無職 長尾宣卓さん (34歳)も行方が分からなくなった。

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愛知県名古屋市親子ら3人行方不明事件【事件概要】

ルメイヤス・科乃(しなの)さんはオランダ人と結婚して長男ダライちゃんをもうけたが3年前に88年4月に帰国して夫と別居中。

その後、環境保護活動などを通じて長尾宣卓さんと知り合い、 同居していた。

行方不明当日午後1時頃、ルメイヤス・科乃さんは名古屋市名東区にある父親の会社に8月分の生活費を取りに来た。

この際、「27日夜から4、5日、四国へ自然食関係のイベント『塩の祭り』を見に行く。私のワゴン車で長尾宣卓さんに連れて行ってもらう。向こうではキャンプする」と話していた。

しかし以後、連絡は途絶えた。

両親が調べた結果、ルメイヤス・科乃さんは『塩の祭り』に参加していなかった。

一方、長尾宣卓さんは7月27日、ルメイヤス・科乃さんの自宅の大家に「家賃を振り込みたい」と電話をしていた。

大家が「今すぐには口座番号が分からない」と答える と、長尾宣卓さんは「あすにもまた電話する。ルメイヤス・科乃さんと子供の2人は先に旅行に出発した。自分もこれから追いかける」と電話していた。

急いだ様子だったという。

長尾宣卓さんは28日頃まで近所の人にルメイヤス・科乃さんの自宅に1人でいるのを目撃されていた。

ルメイヤス・科乃さんの自宅から見つかった血痕

ルメイヤス・科乃さんの自宅の2階6畳間の畳に最大で牛乳瓶一本程度の血痕が見つかった。

一か所畳に20セン四方程度で、もう一カ所は押し入れの布団に2センチ四方程度の血の染みだった。

血液型はB型でルメイヤス・科乃さんと一致した。

しかし当時、詳細な鑑定を試みたが試料が悪くルメイヤス・科乃さんのものであるか断定できなかった。

ルメイヤス・科乃さんの手がかり

その後、10月10日に、ルメイヤス・科乃さんのワゴン車が名古屋空港近くの駐車場に預けっばなしになっていることがわかった。

車内には旅行で使うはずだったキャンプ用品やルメイヤス・科乃さんが旅行の食料を入れるためにと友人に譲ってもらった発泡スチロールなども残っていた。

ガソリンは、ほぼ空っぽの状態で、最後に給油されたのは7月20日だった。

ルメイヤス・科乃さんは普段は運転しないため、ガソリンは26日から29日にかけて消費されたと推測され、最大で130キロ圏内を移動した可能性が考えられたため、範囲内の関係箇所を調べてたが手がかりはなかった。

駐車場の担当者は7月29日に男性が1人で来て、8月10日までの料金9,000円を支払い、福岡に行くと話していたという。

その男性がルメイヤス・科乃さんと同居していた長尾宣卓さんと同一人物かは不明。

警察は国内線の旅客名簿を調べたが3人とみられる乗客はおらず、3人が飛行機に搭乗したかどうかは判明していない。

ルメイヤス・科乃さんが旅行用に買っていた革製サンダルも見つかった。

またルメイヤス・科乃さんと長尾宣卓さんの関わっていた宗教団体 オウム真理教についても調べたが、手掛かりはなかった。

さらにワゴン車のタイヤに付着していた土の分析から、行動範囲を洗い出したが手がかりはなかった。

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長尾宣卓さんの人物像

長尾宣卓さんは大学中退後、デザイン関係の仕事をしており、ルメイヤス・科乃さんとは89年初旬にキャンプに行った先で知り合い、自然食、環境保護問題など関心分野が同じで意気投合し、住んでいた名東区からルメイヤス・科乃さん宅に引っ越してきていた。

家賃など生活費はルメイヤス・科乃さんがほとんど負担していた。

行方不明前はルメイヤス・科乃さんと長尾宣卓さんとの間に考え方の違いが生じていたようで、ルメイヤス・科乃さんは7月下旬に、両親に「男性からプロボーズされたが、受けるつもりはない。1週間ぐらいしたら出て行ってもらうつもり」と話していた。

交際のもつれなのか?それとも別の事件に巻き込まれてしまったのか。