幼女ケーシー殺害事件の犯人は母親?裁判後に分かった真実とは?

2008年の7月にアメリカで起こった未解決事件であり、第2のジョンべネ事件と言われる「幼女ケーシー殺害事件」

第2のジョンべネ事件と言われる所以は、幼女ケーシー殺害事件も親族の犯行が疑われつつも未だ未解決事件であることだ。

世界的に有名な事件「ジョンべネ事件」と酷似していることから、
全米が注目していた。

そんな「幼女ケーシー殺害事件」の概要から。

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「幼女ケーシー殺害事件」の概要

2008年7月 一人の年配女性が警察に通報したことで事件が発覚した。

通報した内容は年配女性の孫であるケーリー・アンソニー(2歳)を母親のケーシーアンソニーが会わせないこと、そして行方不明になっていることを認めたために通報した。

警察への通報後、およそ5カ月後に行方不明のケーリーは遺体で発見された。

ケーシーアンソニーがケ―リーの姿を最後に見たのは、2008年6月16日。

祖母が警察に通報したのがそれから1か月後。

行方不明になった時点ですぐに警察に連絡しないという母親らしからぬ行動に、アメリカ全土が注目し、疑いの目は母親のケーシーアンソニーに向けられた。

さらに祖母がケーシーにケ―リーと会わせてほしいと言った際に「テーマパークで働いていた」など「ベビーシッターに預けてある」いくつかのウソをついていたことが発覚。

さらに自分の娘が行方不明になっているにも関わらず、その間ケーシーアンソニーはボーイフレンドと夜によく遊んでいたことも判明。

警察も同様にケーシーアンソニーを犯人として捜査を進めた。

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注目されたケーリー・アンソニー殺害事件の裁判

「幼女ケーシー殺害事件」別名「ケーリー・アンソニー殺害事件」の犯人として
ケーシーアンソニーが法廷の場に立った。

裁判での判決は「無罪」

この裁判はアメリカで実際にその様子を放送され、この無罪の判決に全米ならず、注目した世界が驚愕した。

ケーシーアンソニーは「無罪」となった理由は「証拠不十分」。

具体的に

ケ―リーの遺体は白骨化しており死亡時期や死因が不明。

また陪審員が状況証拠だけで「死刑」にする判決が出せなかった。

この2つが主な理由だ。

ケーシーアンソニーは「第一級殺人」として起訴されていた。

もし「有罪」の判決が出れば、ほぼ「死刑」。

つまり陪審員には証拠が不十分なうえ「無罪」か「死刑」かの判定を迫られていた。

しかもケーシーアンソニーは女性であり、年齢も25歳。

性別や年齢も判決に加味されたのではと、言われている。

注目していた国民はこの判決に激怒した。

さらにこの裁判中のケーシーの態度も非常に悪かったことも国民の怒りをかった。

怒りの矛先は陪審員にも向けられ、中には陪審員に対し脅迫状が送られるケースもあった。

それだけ「ケーリー・アンソニー殺害事件」は納得のいかない判決であったことがよくわかる。

現在、ケーシーアンソニーは南フロリダに在住し、ケーリーの死因について調査をしているとのこと。

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幼女ケーシー殺害事件の犯人は母親?裁判後に分かった真実とは?

「ケーリー・アンソニー殺害事件」の裁判でケーシーアンソニーが無罪の判決を受けた後、驚くべき真実が明らかになった。

それはケーシーアンソニーの自宅PCからの殺人を計画しているような検索履歴が発見された。

ケーシーアンソニーの自宅PCから見つかった検索履歴のキーワードは「クロロホルム」「胸部外傷」「クロロホルムの作り方」などなど。

真実につながるものではないかもしれないが、疑わしき事実である。

警察の捜査が余ったという事実があるものの、しかし、これについても証拠不十分の域を超えることはできない。

未解決事件でありケーシーアンソニーが疑わく思われる事実も数多く挙がるが、亡くなったケ―リーそして、身を案じた祖母の気持ちを考えるとやるせない。