1989年 東京・埼玉で発生した「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」
日本中を震撼させた昭和から平成にかけて起こった史上最悪の幼女連続誘拐殺人事件。
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4人の女の子をわいせつ目的で誘拐し、殺害した宮崎勤元死刑囚。
※出典【宮崎勤元死刑囚】
殺害した幼女の遺骨を遺族に送りつけたり、新聞社に犯行声明を送りつけるなど、残虐非道をとった行動は、遺族に謝罪もないまま2008年死刑執行となり朝の露となった。
そんな宮崎勤に関するもう一つの事件とも言える、宮崎勤の家族や親族の悲惨すぎる末路とは。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件<宮崎勤の父親とは>
宮崎勤の実家は東京都あきる野市の五日市というところにあった。
宮崎勤の父親は地域ローカル限定の新聞社を経営しており家族はそこで生計を立てていた。
当時父親は生まれつき左手が不自由だった宮崎勤をあまり友人や知人などには会わせないようにしていた。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件<事件を知った父親の様子>
そんな宮崎勤が凶悪な事件の犯人と知った時の父親や家族の様子は半信半疑であったものの過熱マスコミ報道に徐々に自覚していき関係者への取材はシャットアウトしていった。
※出典【実家の新聞社】
事件から1週間後、父親は口を開いた。
関係者への取材が制限される中、唯一父の知人でもあったマスコミ関係者へ漏らした父の言葉・・・
「こんなに苦しむのなら死んだほうがどんなにいいんだろう」
父親は力なく、やつれ顔面蒼白で崩れ落ち声を絞りだしながら「死にたい、死にたい」と苦悩んし苦しみ悶えていたという。
宮崎勤というモンスターを育て上げてしまった親としての責任。
しかし「どんなに悪いことをした子でもやはり自分の子なんだ」と宮崎勤への愛情との狭間で父親は苦しんだ。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件<拡大する加害者家族・親族への事件の影響>
日本中を震撼させた殺人事件の影響は父親や家族どころにとどまらず親族にまで及んだ。
宮崎勤には2人の妹がいた。
長女は事件が起こる近く、職場の人と結婚することになっていたのだが、事件が起こってしまい、自主退職と自ら婚約を破棄。
次女は看護学校に通っていたが、それも退学した。
さらに7人兄弟の長男であった父親。
その次男、三男と弟2人も会社を退職。
次男は退職とともに会社を妻の名義に変更。
三男は事件の影響を考え、離婚。子どもたちにも影響が及ばないように「宮崎」の名前から旧姓に戻すように妻に言ったという。
しかし、影響はそれだけに収まらず母親側にも影響が及んだ。
宮崎勤の母親の兄弟にあたる兄に、2人の子どもがいた。
その長男は警察官、次男は学校教諭。
その二人とも自ら仕事を退職した。
事件に関係のない人たちが、親族の影響により被害を被っている。それだけ世間の影響が大きい殺人事件であったことを物語っている。
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東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件<宮崎勤 父親の悲惨すぎる末路>
父親は土地などの財産を全部処分して、被害者遺族に送り謝罪した。
※出典【宮崎勤 実家跡地】
その後、父親は自分に今できる謝罪はすべてしたということで、神代橋という高さ100メートル以上ある橋から宮崎勤の顔を見ることなく投身自殺した。
※出典【神代橋】
宮崎勤というたった1人のモンスターのために被害者も加害者も全ての人が耐え難い世間の目にさらされ被害を受けた。