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天城山心中の事件概要
1957年。
ちょうどその年に「第五北川丸沈没事故」という死者・行方不明113名という大きな海難事故があった。
そんな大きな事件が発生したその年の瀬に、後世語り継がれることとなる事件が起こった。
『天城山心中』
1957(昭和32)年12月10日に静岡県天城山トンネルと八丁池南側の百日紅の樹の下で若い男女が自殺した。
男性は、青森県八戸出身の学習院大学で当時20歳の大久保武道
そして女性は、同じ大学の同級生の当時19歳の愛親覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)
そう、この女性こそ清朝最後の皇帝宣統帝、愛親覚羅溥儀(ふぎ)の実弟溥傑(ふけつ)と嵯峨公勝侯爵の子の嵯峨実勝(さがさねとう)の長女。
つまり、あのラストエンペラーの姪にあたる人物だ。
その愛親覚羅慧生の身分が一般の大学生と駆け落ちの末二人で自殺したということで、当時日本中で大きな話題となり、そんな天城山心中があった事件現場には花を添える人や、手を合わせる人など多くの人が事件の現場に訪れたという。
愛親覚羅慧生と大久保武道はなぜ自殺したのか?
大久保武道は、生真面目で独特の雰囲気を持った人物であり、学習院大学では周囲から少し浮いた存在として孤立していた。
そんな大久保武道一のことを気遣っていたのが、愛新覚羅慧生だった。
その愛新覚羅慧生の優しさと美しさに大久保武道は愛新覚羅慧生に心を奪われ、一途な大久保武道一に愛新覚羅慧生が応えるように交際が始まった。
しかし、身分の違う二人に待っていたのは親族からの冷やかな対応だった。
特に愛新覚羅慧生の母の実家、華族・嵯峨家では、大久保武道のことを決して認めることはなかった。
その嵯峨家の対応に、一時は身を引くことを決意したが、いなくなった大久保武道の存在に気づき愛新覚羅慧生も大久保武道のことを強く求め二人は結婚を決意した。
しかしこの結婚に、嵯峨家は猛烈に反対し、結局二人の結婚は許されることはなかった。
悩んだ末、二人は駆け落ちし自殺を決意。
2人が死に場所として選んだ場所が静岡県天城山トンネルと八丁池南側の百日紅の樹の下であった。
大久保武道が自宅から持ち出した旧陸軍14式短銃で二人は命を絶った。
事件現場には悲恋を物語る状態で遺体が発見された。
愛新覚羅慧生の手にはエンゲージリングがはめられ、右こめかみを銃弾で撃った顔には白いハンカチがかけられ大久保武道に腕枕をしてもらうような状態で亡くなっていた。
大久保武道の手には銃を握った状態で愛新覚羅慧生を追うように自分も自殺したと思われる。
そして遺体のそばにあった百日紅の木の根本には、2人の爪と頭髪が白い紙に包んで埋められており大久保武道のポケットからは、愛新覚羅慧生の写真が見つかっている。
天城山心中の事件現場
前述したとおり、伊豆半島の天城山の山頂トンネルと八丁池の間の雑木林が天城山心中の事件現場。
そこには二人が亡くなった事件現場として墓標的なものが今もある。
今日、天城山を散歩中に、山道からそれた方に何気なく行ったら、墓標的なものを発見。そこに愛新覚羅慧生と大久保武道と名前が書いてあって、調べてみたらお2人が心中した場所らしい。天城山心中って出てきて、ラストエンペラーとか色々書いてあるしなんか凄い雰囲気で勝手に運命感じてる。 pic.twitter.com/KQQzv66ufQ
— karlkanai (@karlkanai) 2017年11月16日
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天城山心中の事件の真相
事件から60年以上も経過しているが未だ語られる天城山心中だが、悲恋の真相。
結婚を反対された2人同意のうえの心中ではなく、大久保武道の無理心中説が今も語られる。
嵯峨家関係者はこれを強く主張していることもあって、亡くなったあとにも無理心中説を裏付けるような証言が多数挙がっている。
大久保武道に自殺願望のようなものがあり、銃については愛新覚羅慧生が預かっていたという。
天城山へ向かう2人を乗せたタクシーの中で愛新覚羅慧生は運転手にバスの時間を確認している。
そして
「ここまで来れば気が済んだでしょう。遅くならないうちに帰りましょう」
と何度も言っていたのをドライバーが聞いたと、証言している。
また母親の浩さんは自身の著書でも次のように語っている。
「自由が丘についた慧生は、いきなり大久保さんから胸にピストルをつきつけられ、一緒に死んでくれと言われましたが、どうにかうまくなだめすかし、喫茶店に入りました。そして隙を見て、大久保さんの宿先である新星学寮の寮長に急を知らせるべく電話したものの、挙動を怪しんだ大久保さんが背後から近づき、その電話を切ってしまったということです」
このような無理心中説の証言もある一方で愛新覚羅慧生が大久保武道の下宿先の寮長のもとに以下のような手紙を送っている。
これは父が浮気をしているのを知り、生真面目な大久保武道が自殺したいと悩んでいた時の手紙と思われる。
大久保さんはお父さんのことで大変悩んでいます。私はそんなことで悩むのはオカシイといいました。しかし大久保さんの話を聞いているうちに私の考えが間違っているのに気づきました。私は死ぬことは思い止まるようにと何度もいったのですが大久保さんの決意はとてもかたいのです。彼を一人だけ死なせるわけにはまいりません。
天城山心中を報じたメディアは同情説、女性誌では純愛説などを語っているが、死の直前のやりとりなどの真相は2人にしかわからない。