大阪姉妹殺害事件 山地悠紀夫の驚くべき犯行動機とは

2005年11月大阪浪速区で起きた大阪姉妹殺害事件。

飲食店で働いていた姉妹が帰宅したところ相次いで襲われ惨殺された暗殺された。

逮捕されたのは当時22歳の山地悠紀夫元死刑囚。

侵入したマンションで無差別的に姉妹を襲い性的暴行、強盗殺人と悪事の限りを尽くした

二人の姉妹はなぜ殺されたのか?世間を震撼させた猟奇殺人事件の全貌とは

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大阪姉妹殺害事件<猟奇的犯行状況>

姉の上原明日香さん(当時27歳)と妹の上原千妃路さん(当時19歳)二人の姉妹は別々の飲食店で勤めていた。


2005年11月17日午前2時半頃。

姉妹はとても仲が良く殺人事件が起きたその日も二人で一緒に自転車で帰ってきた。

妹が自転車を片付けている間に姉はエレベーターに乗り込み先に部屋に向かった。

姉が自分の部屋の鍵を開けて部屋に入ろうとした時、部屋の前に潜んでいた山地悠紀夫元死刑囚が姉に背後から急に襲いかかった。

山地悠紀夫元死刑囚は隣のビルのマンションから配管をつたい侵入 。

待ち伏せして姉を背後から突き倒し、 持っていたナイフでいきなり胸や顔を斬りつけた。

刺された姉が苦しんでいるところで、姉のズボンを片足だけ脱がせ、その後下着も脱がせ性的暴行を行った。

姉がまだ苦しんでいる時に妹が10分ぐらいの差で帰ってきた。

山地悠紀夫元死刑囚は妹を待ち伏せして引きずり込んで、姉と同様に妹の胸を突き刺した。

刺された姉が苦しんでいるそばで、 姉と同様に妹も強姦。

山地悠紀夫元死刑囚は強姦が終わると、姉妹二人がうめいて苦しんでいるのをよそに、一旦ベランダに出て悠然とタバコを吹かした。

そのタバコを吸う山地悠紀夫の姿は近所の人に目撃されている。

タバコを吸い終わるとおもむろに部屋に戻り、まだ息のある姉妹の胸に再びナイフを突き刺しとどめを刺した。

最後に現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを強奪し、証拠隠滅のため室内に放火し逃走した。

同年12月5日、建造物侵入容疑で山地悠紀夫元死刑囚を逮捕した。

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大阪美人姉妹殺害事件<山地悠紀夫の驚くべき犯行動機>

ではその山地悠紀夫元死刑囚の犯行動機はいったい何だったのか?

山地悠紀夫元死刑囚の犯行動機は

「単に誰でもいいから人が殺したかった。」

殺人鬼 山地悠紀夫元死刑囚は姉妹に恨みがあったわけではなく、 全くのゆきずりの無差別殺人事件だった。

身勝手すぎる動機で殺害された姉妹。

しかし事件起こすきっかけとなる出来事が山地悠紀夫元死刑囚の過去にはあったのだ。

それが山口母親殺害事件だ。

大阪美人姉妹殺害事件<事件の動機となった山口母親殺害事件>

姉妹殺害事件の5年前、当時16歳だった山地悠紀夫元死刑囚は実の母親を殺していたのだ。

2000年7月29日午後9時ごろ山地悠紀夫元死刑囚が当時、付き合いだした女性に、勝手に母親が無言電話などの電話をかけたり、自分が稼いできたお金を勝手に母親に取られたりしたことなどが原因で口論となり 母親が「出て行け」と言ったことに逆上。

山地悠紀夫元死刑囚は金属バットで母親の頭と顔と胸などを滅多打ちにして殺害。

山地悠紀夫元死刑囚は翌日には自らが警察に電話をし逮捕されたのだが、犯行直後、母親の返り血を洗い流すためにシャワーを浴びていた時、射精していることに気づいたという。

母親を殺したその時の興奮を快感と感じていた、それが後の大阪姉妹殺害事件のきっかけになっていたのだ。

この事実は、大阪美人姉妹殺害事件の裁判で山地悠紀夫元死刑囚が述べており「人を殺す事と物を壊す事は全く同じ事」とも述べている。

少年鑑別所出所後、およそ1年半で大阪美人姉妹殺害事件をおこしている。

出所させたことが妥当だったのか?

母親殺害した最初の事件の時はある岡山市の精神科医が鑑定した。

その時に「もう一度社会に出たら人を殺すことはないか?」との問いかけに「殺すと思います」と答えている。

再犯の可能性を肯定していたにもかかわらず、一体なぜ社会復帰したのか?

当時、山口母親殺害事件はお母さんを基軸とした家庭内の事件。

母親の借金や言動や行動、そのような積み重なったものが原因で起こった事件であると判断

社会で全く関係のない第三者に危害を加えることはないと判断し、少年院で更生して活かせる道を選んだ。

更生は可能と判断。

およそ3年で少年院を仮出所している。

結果としてこの判断が誤りであったことになってしまった。

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大阪美人姉妹殺害事件<遺族と裁判後>

大阪姉妹殺害事件の被害者の父親は裁判で山地悠紀夫元死刑囚に対して死刑を強く訴えていた。

特に遺族の父親の姿は鬼気迫るものであり

「もし死刑にしないのだったら私は必ずあの男を殺します、それも叶わないのであれば私は裁判所の前で腹を切ります」

まさに怒りと無念の極限の状態だったという。

そんな被害者遺族の思いとともに山地悠紀夫元死刑囚は死刑が確定。

2009年7月28日、山地悠紀夫元死刑囚も控訴することなく判決から2年という異例の早さで大阪拘置所にて死刑執行された。

山地悠紀夫元死刑囚は最後にこのような手紙で言葉を残している。

私の考えは、変わりはありません。上告・上訴は取り下げます。この意志は変えることがありません。判決が決定されて、あと何カ月、何年生きるのか私は知りませんが、私が今思うことはただ一つ、私は生まれてくるべきではなかったという事です。今回、前回の事件を起こす起こさないではなく、生そのものが、あるべきではなかった、と思っています。いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ございません。さようなら

出典:matome.naver.jp

自らの生に執着することもなく他人の生にも執着しなかった。山地悠紀夫元死刑囚は25歳で刑場の露と消えた。