「絵のモデルになってくれませんか?」
白のロータリークーペを乗り回し、ベレー帽を被って画家を装い8人もの女性に暴行・強姦を加え殺害した昭和の連続強姦魔・大久保清。
時は昭和46年。最初の事件発生は3月頃であった。
群馬県内を中心に10代から20代の女性の失踪が騒がれ始めたのは、それから1ヵ月経過した4月頃だった。
日本史に名を遺した昭和の連続強姦魔 大久保清が起こした連続婦女暴行殺人事件とは、どのような目的で起こってしまったのか。
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発覚した大久保清連続婦女暴行殺人事件
「絵のモデルになってくれませんか?と頼まれたのでチョット行ってくる」
1971年5月9日夕方、そう言い残し群馬県藤岡市に住むの21歳OL女性G子さんの行方がわからなくなった。
無断外泊をしたことがないG子さんが、日付が変わっても戻らないのを心配した家族は警察に失踪届けを出した。
家族も寝ずにG子さんの捜索をし翌日の早朝、兄が近所の信用金庫の前でG子さんの自転車を見つけ、不審な中年男性がG子さんの自転車を軍手で指紋を拭ってるのを見かけた。
兄がその中年男性に声をかけた。
不審な男性はすぐさま、近くに停車していた車で逃走。
兄は必死に車種とナンバーを記憶し、警察に通報。
そこで浮かび上がってきたのが、大久保清(当時36歳)だった。
大久保清は強姦致傷、恐喝など前科4犯を重ね、ちょうど同年3月に府中刑務所を出所したばかりだった。
つまり、大久保清の犯行は出所してすぐであったことを意味する。
G子さんの行方がわからなくなって4日後の1971年5月13日夕方。
G子さんの家族、知人、友人が協力しあって結成した「民間捜索隊」に、目撃証言から白い車を追い続け、ついに前橋市内で大久保清が警察に突き出され逮捕された。
この「民間捜索隊」に取り押さえられた時にも白のロータリークーペの助手席には若い女性が座っていた。
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逮捕後の大久保清の様子
逮捕されてから大久保清は容疑を認めなかった。
「絵のモデルになってくれと言って誘い出したことは事実だが、モーテルに連れ込もうとしたら怒って逃げられた。その後のことは知らない」
大久保清が逮捕され取り調べを受けている最中の5月21日、榛名湖畔で17歳女子高生の遺体が発見された。
警察はこの17歳女子高生の殺害事件も大久保清の犯行とみてさらに厳しい取り調べを行った。
5月26日、大久保清は厳しい取調べの末、G子さんの殺害死体遺棄を全面的に自供を始めた。
5月27日、供述をもとに、妙義山北面の桑畑を掘り起こすとそこからG子さんの遺体が発見された。
警察の取り調べはさらに続き、ちょうどその頃、この近辺で行方不明となっていた残りの7人の女性についても自供を始めた。
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大久保清の供述による被害者の詳細
大久保清の供述どおり、被害者の遺体は次々と掘り出され昭和の連続婦女暴行殺人事件が明るみになった。
以下は大久保清の供述で明るみになった被害者の殺害に至るまでの経緯。
■被害者①:高校生A子さん(17歳)
■殺害日:1971年3月31日
■遺体発見現場:榛名湖畔
高校生A子さんとは2度会った。2度目に会った時、「榛名湖畔にアトリエを持っている」と嘘を言うと、「連れて行ってくれ」といったのでドライブに出た。大久保は直前で適当な口実を言って引き返せばいいと考えたが、A子さんはどうしてもアトリエに行ってくれと言った。
湖畔の林道に入って関係を持ったが、A子さんは「免許証を見せてくれ」と迫った。大久保がそれを見せると、年齢や名前が嘘であることがわかり、アトリエもないことがわかったので、A子さんは言い出した。
大久保は前科があることや、保釈中の身であるため、警察沙汰はまずいと思い、A子を殺害しようとした。A子さんは「兄が検察官と言ったのは嘘です。ごめんなさい」と謝ったが、若い娘が”検事”でなく”検察官”という言葉を使うわけがないと考えた大久保はそのまま首を絞めて殺害した。
■被害者②:ウエイトレスB子さん(17歳)
■殺害日:1971年4月6日
■遺体発見現場:高崎市
ウエイトレスのB子さんとも2度会った。2度目の会った4月6日、B子さんの方から「午後6時に北高崎駅で待っている」誘った。
その後、モーテルに行き2時間ほど過ごしたが、B子さんの態度が変わり、
「私には警察官の旦那がいるんだよ。あんたを訪ねて行くからね」
と言い出したので、大久保は殺害を決意。
■被害者③:県庁臨時職員C子さん(19歳)
■殺害日:1971年4月17日
■遺体発見現場:高崎市
県庁臨時職員のC子さんとは5度会っていた。散文詩のことなどで話が合ったので親しくしていた。大久保はC子さんには「美大卒の中学教員・渡辺成一」と名乗っていたが、5回目のドライブでC子さんは「大久保さん」と呼びかけた。C子さんは近所で大久保のことを調べたという。彼の嘘をすべて暴いた。
「大久保さんのことを世間に知らせてやる。警察と県警記者クラブに知り合いがいるから電話してやる」
その言葉を聞いて大久保は殺害を決意。
■被害者④:高校生D子さん(17歳)
■殺害日:1971年4月18日
■遺体発見現場:榛名町
高校生D子さんとも2度会っている。家族のことを聞いたら、「父は派出所に勤務している」と彼女は言った。大久保は警察に前科者にされてしまったという恨みがあり、これを聞いてムカムカしてきた。
D子さんはさらに「この前関係したことは、強姦として事件になるんだってね」と言ったので殺害。
■被害者⑤:高校生E子さん(16歳)
■殺害日:1971年4月27日
■遺体発見現場:高崎市
女子高生Eさんとは3度会った。2度目に会った時、大久保は靴下を3足買ってやったが、3度目に会った時「1足が破れてしまった」と言った。大久保は「これで買いな」と千円札を渡したが、E子さんは「でも、悪いから」と遠慮した。
「デモなんかすると、おまわりさんに捕まるよ」
大久保のこの冗談に対して、E子さんは「私のお父さんはデモを取り締まる人を指揮している」と話した。警察官だという。大久保はこれを聞いて殺害を決意した。
■被害者⑥:公社職員F子さん(18歳)
■殺害日:1971年5月3日
■遺体発見現場:高崎市
公社職員F子さんは4月上旬に、桐生市の喫茶店で見かけて声をかけた。この時には中学校の数学教師と名乗っている。2度目に会ったのが5月3日で、軽井沢方面にドライブ、途中モーテルで関係を持った。
「××中学には渡辺という先生はいない。本当は大久保さんでしょ。遊び半分で交際してるんでなければ、帰りにあんたの家へ連れて行ってよ」
突然F子さんはそう言った。さらに車が大久保の自宅付近を通ると、「あんたの家、このへんでしょ」と言った。どうやら大久保のことを調べていて、出所したばかりだということも知っているようだった。さらにF子さんは車内にあったB子さんの写真を見つけたので殺害した。
■被害者⑦:会社員G子さん(21歳)
■殺害日:1971年5月9日
■遺体発見現場:松井田町
OL・G子さんとは「絵のモデルになってくれ」と声をかけて車に乗せ、伊勢崎に行って、喫茶店や西洋文学、登山などの話をした。会話は弾み、自分のことを好きになったと思った大久保は、店を出てドライブした。
途中、モーテルに入ろうとしたが、G子さんは「私、そんな女に見える」と断り、さらに後で林道で無理に関係を持とうとしたが、「私の父は刑事よ」と言ったので、強姦してから首を絞めて殺害した。
■被害者⑧:家事手伝いH子さん(21歳)
■殺害日:1971年5月10日
■遺体発見現場:下仁田町
家事手伝い・H子さんとは3月下旬に知り合い、7度目のデートの時に殺害している。なお大久保はH子さんに対しては本名を名乗っている。(肩書は中学教師とした)
この日のドライブ中、H子さんは「最近刑務所から帰ってきたんだってね」と言い出した。妻子と別居していることも知っており、馬鹿にしたように笑った。これで大久保は殺害を決意。
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「権力への抵抗」を持ち出していた大久保清は親族以外の面会は拒絶。
大久保清の口からは謝罪、反省の一言も出なかった。
大久保は正面から見据えると、目は大きく、鼻筋も通った美男子といえたが、細身の画家のイメージはない。
シルエットも決して細くなく、これで女性たちは殺されたのかと思うほどの腕まわりだ。
41日間に16歳から21歳までの若い女性が狙われナンパして関係を迫り、抵抗されたりすると殺害した犯罪史上類を見ない『大久保清連続婦女暴行殺人事件』
自分の私利私欲のままに生きた大久保清。
「生きながらえたとしても、かえって被害者の遺族を苦しめることになり、自分も苦痛から逃れたい」
と知人に言い残し1976年1月22日、大久保清が刑場の露と消え幕を閉じた。
この事件の後、連合赤軍事件が群馬、長野を舞台に引き起こされた。
彼らが拵えた山岳アジトのひとつは、大 久保清が榛名山で殺害した女性を埋めた場所のすぐ下だった。