火災事故といえば、1982年に東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで起こった火災事故が印象深い。
実はそのホテルニュージャパン火災より前に「国内史上最悪と言われたビル火災」と言われる火災があった。
大阪で国内史上最悪のビル火災といわれる大惨事の事故は突然起こった。
そのビルは1階から5階までデパートで、6階はゲームセンター、屋上には観覧車があった。
火災当日、デパートは午後9時に閉店したが最上階7階にあるキャバレー「プレイタウン」はまだ営業していた。
通常なら閉店後は1階と7階にしか人はいない。しかしこの日は3階の婦人服売り場で電気の配管工事がおこなわれていたため、5人の工事作業員がいた。
そして午後10時30分に作業は突如中断する。作業現場で炎が舞い上がったのだ。
現場監督に知らせると、すぐに火災報知器のボタンを押し、1階の保安室へと向かった。
3分後保安係員が現場へ行くと、この時すでに炎はフロア全体へと燃え広がっていた。
保安係は119番に通報。
しかしこの時に保安係は「プレイタウン」への連絡を忘れてしまう。しかも、7階には火災報知器が設置されていなかったのだ。
火災が起こった時、「プレイタウン」には、ホステス、客、バンドマンなど181人もの人々がいた。
なんと彼らは置き去りになったのだ。
大阪ミナミ「千日デパート」火災事故 詳細
1972年5月13日、閉店直後の22時27分頃、改装工事中の3階婦人服売り場より出火。
出火原因は工事関係者のたばこの不始末というものだった。延焼自体は5階で止まったが、建材などが燃焼した際に出る有毒ガスが発生。
死のガスは階上に向け徐々に充満していき、逃げ道であるはずの階段が煙突の役目を果たしてしまう。
その煙突の役目を果たした階段の先には、この時間帯に唯一営業していた最上階のキャバレー「プレイタウン」があった。
上記概要にもあるように保安係が「プレイタウン」への連絡を忘れ、火災報知器の設置がされていなかったのが逃げ遅れた原因の一つであるが、さらなる問題行動がある。
それが火災発生時、キャバレー従業員は、こともあろうか火災の混乱の中、客が飲み逃げしないように、避難扉の外側から施錠したというのだ。
重なる問題が被害を大きくしてしまったのだ。
逃げ場がなくなった客の一部はやむなく窓ガラスを割り、15m下の地上めがけて飛び降りている。飛び降りた24名の内22名が全身挫折や頭蓋骨折などで死亡。
中には即死状態の遺体もあった。
飛び降りなかった客の多くは一酸化炭素中毒で窒息死。
98名もの遺体は7Fフロアで折り重なるように倒れていた窓枠にしがみつき半身を乗り出した状態で絶命していた遺体もあった。
最終的には、118名の死者を出す大惨事となってしまった。
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大阪ミナミ「千日デパート」火災事故は人災!?
「プレイタウン」に火災報知器の設置がされていなかった事や、非常誘導路に当たる箇所に間仕切りがされて、 使用できなくなっていたことなど、雑居ビルの欠陥を露呈させる火災事故となった。
非常誘導路に当たる箇所に間仕切りがされていた事などの理由にオーナーの日本ドリーム観光は総定数以上のテナントを入れ、賃料収入を増収を目論み、又、防火シャッターが自動作動せず、スプリンクラー、火災報知器の未設置など、必要最低限の危機管理すらできていなかった。
よって火災発生から消防署への通報まで相当な時間があったにも関わらず、結果、最悪の事態を招く結果となってしまった。これは明らかなる人災である。
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大阪ミナミ「千日デパート」火災事故 まとめ
この類の火災事故は消防法の整備が整った現在においても後を絶たず発生している。
火災は今回紹介した「千日デパート」のようなとても大きなビル火災から民家レベルの火災までそれぞれだ。
そんな火災防止についてはメディアなどで報道される火災のニュースなどを見た際には、なぜ起こってしまったのか?ということを知るだけで「気をつける」という意識を持つだけで最悪の事態を防げるケースも少なくない。