京都五番町事件 警察のズサンな捜査の真実

今からおよそ60年前の1955年、京都の歓楽街である通称「五番町」で事件は起きた。

若者同士のささいな小競り合いのケンカから始まった事件が、連日連夜、国会をも揺るがす大騒動へ発展した事件である。
その騒動を大きさを裏付けるように当時、朝日新聞朝刊掲載の国民的漫画「サザエさん」にも世相を反映するかの如く、事件に触れるシーンが掲載された。

波平が、いつものように新聞を見てた。

その新聞にはその当時話題となった「冤罪」について書かれていた。

「また無実の罪で殺人罪・・」とつぶやく。

その時、隣の部屋からカツオとサザエが何やら揉めている声が聞こえてきた。

波平が「ボクじゃない」というカツオを落ち着かせ事の事情を尋ねる。

カツオは、「ボクがおはぎをたべたというんだ。」そう泣きながら、食べていないのに食べたという無実を訴えるモノだった。

しかしカツオの口の周りにはおはぎのあんこがついており、見逃さなかった波平は、「却下」といって二人を下がらせる。
この時期に取り上げられていた冤罪事件とは、そう「京都五番町事件」だ。

京都五番町事件<詳細>

1955年(昭和30)4月15日夜、京都市内の通称「五番町」といわれる遊郭で事件は起きた。

加藤(仮名・当時23歳)は兄と二人で酒に酔いしれていた。

そこに加藤の側にいた佐々木(仮名・当時20歳)と喧嘩になった。

しかし、そこにいた女性が仲介に入る事で、ケンカはとりあえず納まった。

加藤と仲間3人は飲みなおすべく、居酒屋に入った。

その飲み屋をあとにしようと店から出た時、今度は別の4人組の少年とまた、ケンカとなってしまった。

殴り合いが続いたが、先ほどのケンカで体力を消耗した加藤ら四人は逃走。

少年たちは加藤たちを追いかける。

そこになんと、先ほどケンカした佐々木が現れたのだ。

佐々木は「さっき殴ったのはお前やな」と言って、ナイフで加藤の背中など二か所を刺し逃走。

四人組の少年たちは何が起きたのか理解できず、さらに加藤らを追った・・・。

その後、加藤は救急搬送で病院に運ばれたが、二日後に出血多量で死亡。

京都五番町事件<冤罪ともう一つの事件>

警察はなんと佐々木ではなく、少年4人組が加藤を刺したと断定。

少年4人は在日朝鮮人だったという理由だけで、事件直後に四人の少年が暴行などで逮捕され、京都地検から暴行傷害致死などで起訴された。

京都五番町事件は、「在日朝鮮人は乱暴」「被差別部落のものは、殺人も平気でやる」などの、差別的観念が根強い時代であり警察のみならず、一般市民にもそういった考えがあった時代。

言い換えると京都五番町事件は、冤罪という事件の他に、差別事件」であるともいえる。

四人の少年たちは数日間、暴行や真夜中まで取り調べに自白を強要された。

よって彼らは異なる証言であるにも関わらず、苦痛のあげく、虚偽の証言を自白させられた。

もちろん、凶器のナイフは発見される事はなかった。

京都五番町事件<一人の目撃者の存在>

この殺人事件には一人の目撃者がいた。村松(当時20歳)という女性だ。

村松さんは、現場近くの公衆便所で手を洗っていた。

そこに佐々木が現われ、村松さんを押しのける形で、血のついたナイフ、手拭などを洗ったというのである。

その後、その後の裁判で村松さんが証人として出廷し、四人の少年は犯人ではないと証言した。

事件は新たな方向に向かうかに思われたが、証言をした村松さんが、なんと逮捕される事態となってしまう。

村松さんの罪は「偽証罪」。

なんと村松さんを真夜中まで数日間、監禁のように取り調べを行い、検察の見立てに沿った虚偽証言を強要。

これを拒んだ目撃者を偽証罪で逮捕したのだ。

京都五番町事件<事件が大きく動いた真犯人の存在>

ここまで警察が作り上げた冤罪が一気に崩れる時がきた。

事件からおよそ一カ月たった頃に、佐々木が凶器のナイフや犯行当時の衣服などの証拠品を持って京都地検に自首したのだ。

佐々木は何故、一か月も経った頃に自首したのか?佐々木の証言では、映画「真昼の暗黒」を見て、自分の罪深さを反省し、自首を決心したというのである。

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京都五番町事件<犯人を自首させた映画「真昼の暗黒」>

当時、係争中で裁判が続いていた「八海事件」をモデルとした作品。

「八海事件」は、1951年、山口県麻郷村で起こった強盗殺人事件で、老夫婦が殺害された。

単独犯だった犯人が刑を免れるため、知り合い4人との共犯だったと供述し、5人が起訴されたという冤罪事件。

冤罪に心が痛んだ、佐々木はずさんな警察の取り調べより善の心を捨ててはいなかった。

京都五番町事件<その後>

京都五番町事件から1年後の1956年4月、4人の少年らは冤罪が明警察のズサンな捜査が明白となり無罪となった。

京都五番町事件を担当していた森島忠三検事は、京都五番町事件の取調べにおける不正行為のために懲戒処分。

その後、弁護士に転じたが、現在、日本弁護士連盟の会員に森島忠三の氏名はない。

また、偽証罪の問われた村松さんも、もちろん罪に問われることはなくなった。

警察のズサンな捜査が浮き彫りとなった瞬間だ。

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京都五番町事件 まとめ

事件から一番遠い存在であり一番の被害者は村松さん。

そんな村松さんを偽証罪で起訴猶予処分という犯罪者扱いをしていたことから、週議員の法務委員会が激怒、検察を非難したことから国会で大騒ぎとなる。

今から60年前の1955年に起きた「京都五番町事件」は、 若者同士のケンカ騒ぎで一人が亡くなり、4人が逮捕された事件だったが、 当初、新聞には小さなな記事として載っただけであった。

真犯人が名乗り出てこなかったら、 少年たちはそのまま有罪になっていたの。決して他人ごとではない冤罪。 一生を事件の為に費やす人も過去にはあり、このような事件がなくなる事を心から願う。

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