伝統的な3大市民マラソンとして有名なボストンマラソンで事件は起こった。
ボストンマラソン大会競技中に2か所で爆発テロが発生。
この爆発で3名が死亡、282名が負傷した。
死傷した中には子どもも含まれ少なくとも10名は手や足を切断する重傷を負っている。
このような無差別爆弾テロを起こす犯人とはどのような人物なのだろうか。
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ボストンマラソン爆弾テロ事件<詳細>
2013年4月15日、アメリカマサチューセッツ州ボストンにて開かれるイベント、『ボストンマラソン』が開かれた。
世界的にも有名なマラソンであったため、オリンピック出場選手などを含め世界各国からランナーが集まっていた。
年に一度のビッグイベントであったため、ランナーはもちろん、観衆もお祭り一色であったが、現地時間午後14時45分頃に2つの爆弾が爆発した。
最初の爆発はボイルストン通り671番地の「マラソン・スポーツ」前で発生。
最初の爆発から12秒後にゴールからおよそ100m離れた場所で2つ目の爆弾が爆発した。
爆弾には圧力鍋を使われており、ボールベアリングや釘や画鋲などの金属片が混入され殺傷力の高い爆弾だった。
ターゲットになったのは、観衆はもちろん、ランナーやボランティアスタッフなどボストンマラソンに関係する人たちだった。
死亡した3名の被害者は8歳男児・29歳女性・ボストン大学院生の中国人女性と報告され、282人の負傷者が出る大惨事となってしまった。
アルカイダなどのイスラム系過激派組織の犯行の疑いもあったため、アメリカ政府がすぐに動いた。
全米で警戒レベルをあげ、第117回ボストンマラソンは即中止となった。
その他にもボストンで開催されたアイスホッケーの試合やNBAバスケットボールの試合が中止となり影響がでた。
事件発生から2日後、FBIは容疑者2人の人物画像と監視ビデオを公開。
爆弾テロに居合わせた被害者や一般の情報を元に容疑者2人を特定。
タメルラン・ツァルナエフ 1986年10月21日生まれ(当時26歳)
ジョハル・ツァルナエフ 1993年7月22日生まれ(当時19歳)
アメリカに移民したチェチェン人の2人兄弟だった。
ツァルナエフ兄弟の画像公開後、マサチューセッツ工科大学の26歳の警備警官がツァルナエフ兄弟に射殺された。
その後、兄弟二人は金や車を強奪し逃走。
日付は変わり4月19日午前0時過ぎ、ローレルアベニューで発見された、ツァルナエフ兄弟と警官のあいだで激しい銃撃戦が繰り広げられた。
一説には爆弾や手りゅう弾も使われ、なんと200発~300発の銃弾が使われたという。
激しい銃撃戦の末、兄のタメルラン・ツァルナエフが死亡のまま逮捕。
銃撃で負傷しながらも弟のジョハル・ツァルナエフは最後の最後まで計画通り未解決事件にしようと逃走。
しかし、重傷を追ったところ動けなくなり逮捕。
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ボストンマラソン爆弾テロ事件の裁判
裁判ではツァルナエフ兄弟は4件の殺人と30の罪で起訴後証拠不十分から無罪を主張。
しかし2年後の2015年6月25日、地裁は死刑を求刑。
しかしジョハル・ツァルナエフは最後に「爆弾事件は自分が兄とともに行ったものである自分が人を殺し苦しみを引き起こしたことについて申し訳ないと思っている」と被害者親族らへ直接謝罪。
しかし、その謝罪は許されるものではなかった。
ジョハル・ツァルナエフは現在、国内の刑務所で執行されず服役生活を送っている。
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ボストンマラソン爆弾テロ事件での不可解な謎
このボストンマラソン爆弾テロ事件での不可解な行動が度々取り上げられている。
ジョハル・ツァルナエフは犯行当時、顔を隠そうとすることをほとんどしていない。結果として犯人の特定が容易にできてしまった。
「正常でない反応を示した」
爆発時の録画映像を見たFBIはこのよう言ったという。
その映像には逃げ惑う人達とは違い、犯人は止まって爆発の余波を見守り、逃げるような素振りはなく、落ち着いた様子で現場を歩いて去ったという。
また、事件後もタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフは事件発生から指名手配までの3日間、ボストンから逃げようとした形跡はない。
いつもどおりジムに行ったり、ジョハル・ツァルナエフは、大学のパーティーに参加したりもしていた。
ボストンマラソンという大舞台で無差別爆破テロという大事件の犯人であるにも関わらず事件が起きる前やその瞬間、そして事件後の行動に違和感を感じる。
ボストンマラソン爆弾テロ事件<自作自演説>
このボストンマラソン爆弾テロ事件は9.11同時多発テロ同様に【自作自演説】が後を絶たない。
それがこのボストンマラソンで疑惑とされる画像のすべてだ。
右側の男のリュックに「白い四角のマーク」がある。
出典:ameblo.jp/don1110/entry-11516644382.html
爆発の直後、2人の男が揃って逃げているが右側の男はリュックがなくなっている。
彼等が身に着けているジャケットには米軍の秘密警察の印がある。
爆発したリュックには「白い四角のマーク」があった。
ボストンマラソン爆破テロ直後のツァルナエフ。
爆発後なのにリュックサックを背負っている、ツァルナエフの画像も見つかっている。
出典:ameblo.jp/don1110/entry-11516644382.html
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ツァルナエフ兄弟はなぜこのような無差別大量殺傷事件を起こしたのかという動機については未だ不明。