2002年7月フィリピン、マニラの商業都市マカティでイギリス人男性が3人の武装した男たちに殺害された。
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イギリス人男性の名前はスティーブン・デイビス。
スティーブンは実業家として起業しIT系企業を立ち上げ成功をおさめていた。
また私生活では、事件が起こる5年前に、ここフィリピンで地元女性である元・バーのダンサー、エブリンと結婚。
エブリンとの間に、長女のジェシカ 事件当時3歳と長男のジョーシャ 事件当時13ヶ月の2人の子供を授かりまさに私生活ともに順風満帆といえる生活を送っていた。
スティーブン殺害事件
そんなスティーブンの身に起こった事件は会社として利用していた一軒家で発生。
犯人らは深夜の就寝中に一軒家に侵入。
侵入後にはスティーブンと一緒に会社を経営していたマーティンの部屋に入るも、スティーブンでないと判断しその場を去り、その足でスティーブンの部屋に侵入。
自室にいたスティーブンを銃で殺害した。
マーティンを射殺せずに、スティーブンだけを殺害した行動はスティーブンが最初から犯人たちのターゲットになっていたことを意味する。
スティーブンが殺害された事件に地元警察は、フィリピン国内でイギリス人男性が大きな国際問題にもなりかねない殺害事件であった為、捜査の足取りは重かった。
母親のマーガレット・デイビス
事件発生時に射殺されずに生還できたマーティンが、スティーブンの母親マーガレットに息子が亡くなったことを伝えると、翌日にはイギリスから息子の遺体があるフィリピンに向かった。
フィリピンに到着したマーガレットは身の危険もあるとのことから警察とボディガードに守られながらの行動を強いられる。
地元警察の調べではしっかりした現場検証もなく短絡的に物取りが誤って殺害した犯行として事件の捜査を行っていた。
しかし、マーガレット自身はフィリピンに到着してから、一人の人物に不信感を抱いていた。
23歳の妻エブリンだ。
マーガレットが不信感を抱いたポイントは複数あった。
- 最愛の夫を亡くしたにも関わらず葬儀で悲しみの表情がなかった。
- さらにスティーブンが亡くなって、最初に話しだしたのがお金の無心の話しだった。
- スティーブンが生きていた時はとても優しかったのに死後冷たい態度をとる様になった。
- スティーブンから夫婦関係が緊張状態で別居の費用を削減し始めていたことを聞いていた。
それらのことに違和感を感じ、マーガレットは警察に訴えるも全く取り合ってもらえなかった。
しびれを切らしたマーガレットは私立探偵を雇い自ら独自捜査を始めた。
そこでわかったことは、
- 結婚指輪を質に入れた領収書が見つかった。
- またスティーブン氏が仕事で居ない平日は男友達が良く遊びに来て楽しんでいた。
さらに独自捜査を続け、探偵がエブリンの家に張り込んだ。
出入りする人物を一人一人写真を撮りマークしていると、その写真の中からマーティンが実行犯の1人を見つけた。
アーノルド・アドゥレイ。
エブリンの男友達だった。
決定的な証拠であったがためマーガレットとマーティンはその証拠をもとに警察へ向かった。
それから1ヵ月後、アドゥレイと共犯者の1人が逮捕された。
さらに逮捕された最後の容疑者はエブリンの義理の弟ロベルト・パロベイであった。
エブリンはこの時、犯行の関与は全否定した。
マーガレット、孫を救出
マーガレットは孫たちをエブリンから保護することを考えていた。
まず娘のパスポートを取得していたジェシカを
イギリスに連れ帰る。
そして、もう一人の孫のジョシュアはエブリンの親戚に預けられいているのを発見。
その時のジョシュアの状態は脱走しないよう足首を縛って木につながれていた。
そこからもマーガレットはお金で決着をつけ、ジョシュアの引き渡しに成功。
しかし、この時母親のエブリンがマーガレットを告発する。
告発内容は子供たちを拉致したということだ。
時同じくして最後に逮捕されたロベルト・パロベイが供述を始めた。
それによると
- スティーブンの家の侵入についてはエブリンが鍵、そしてスペアキーをくれた。
- 犯行時、エベリンは、スティーブンの家の前で見張りをしていた。
これらの供述が決定打となりエブリンは逮捕された。
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スティーブン殺害事件 裁判の判決
武装して侵入したアーノルド・アドゥレイ実行犯の3人は有罪判決を受け、30年の有罪判決、そしてこの事件を計画したスティーブンの妻・エベリンには40年の判決が下された。
エブリンの裁判にはマーガレットも傍聴人として参加をしていた。
「母親として義務を果たして、これでようやく息子を弔うことができた」
息子を失った悲しみに浸る間もなく、執念で真犯人を逮捕までこぎつけることができたマーガレット。
※この事件を追ったドキュメンタリー(全文英語)
息子スティーブンを失いつつも、現在は孫たちと父の故郷イギリスで幸せに生活をしているという。