アンソン殺人事件の真相と弁護士ベスの関係

1994年に起こった、アンソン殺人事件の真相に迫る。

アンソン殺人事件の真相と弁護士ベスの関係<事件発生までの経緯>

1993年1月、アメリカ・コネチカット州であるカップルが結婚パーティをあげた。

そのカップルは新郎であるアンソンと新婦のキム。

二人には離婚歴があり、キムには前夫との子供、レベッカ(2歳)という連れ子がいた。

その二人の結婚をキムの家族は、反対していた。キムの家族はアンソンを信頼しておらず、キム自体の子育てについても不満があった。

キムとアンソンがデートする時は、いつも孫にあたるあるキムの母、シンシアに預け世話をさせていた。

そんな二人の結婚をキムの父ディックも反対していた。

子育てについての不満から、キムとシンシアは意見が対立し、それ以来レベッカを連れてディックとシンシアの家には近寄らなくなった。

それどころか、キムとアンソン、そしてレベッカの新居となる家は、アンソンの両親の家の裏にある、物置小屋であるというのだ。

さらにアンソンは、それまで看護助手をしていたが男性ストリッパーを志望する。

孫を取られ、子育てに劣悪な環境なうえ、夫の収入が不安定。

そんな二人の結婚に当然のごとくキムの両親は反対していたのだ。

両親の嘆きを目の前にその思いを受け、結婚パーティの数カ月前から行動したのがキムの姉、べスだった。

ベスは、ワシントンDCの有名大学で国際法学位を取得した新米弁護士だった。

キムとべスは法廷でレベッカの親権を両親に渡しアニソンのレベッカへの虐待を理由に激しい戦いを繰り広げた。

結婚パーティの最中も戦いは続き二人の結婚パーティから10か月後の1993年11月。

裁判の結果、レベッカの親権は、アンソンと、キムにあると法廷は決定。

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アンソン殺人事件発生

レベッカの親権がアンソンとキムであることが決定してから4カ月後の1994年3月10日の朝、アメリカの高速道路でアンソンが遺体が発見された。

アンソンのカラダには銃で5回撃たれた銃弾の跡があった。

世間の殺害疑惑の目は結婚を反対していたキムの両親シンシアとディックに向けられた。

レベッカをアンソンに奪われたうえ疑惑を向けられた両親はひどくショックを受けていた。

しかし、犯人として逮捕されたのは、この騒動に全く関係のないドラッグの密売人だった。

アンソン殺人事件の真相と弁護士ベスの関係

しかし、アンソン殺人事件はこれで終わらなかった。

なんと密売人の供述からべスの弁護士事務所関係者の名前が挙がったのだ。

その男の名は、ハーマン・クレイン。

べスと同じ弁護士事務所で働き、べス上司でもあった。

ドラッグ密売人はこのハーマン・クレインから殺害の依頼を受けたのだという。

さらに事件は進展していき真相に近づく。

実はべスとハーマン・クレインは恋人の関係であり、なんとハーマンに殺害を依頼したのは、 キムの姉 べスだったのだ。

これがアンソン殺人事件の真相だ。

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アンソン殺人事件の真相<べスとハーマンのその後>

べスとハーマンはそれぞれ逃亡。

ハーマンはその後、逮捕され事件の真相が発覚してから、およそ3年後、1997年11月、ベスもアイルランド警察にて身柄を拘束される。

ベスはその後アメリカに送還され。

ベスと、ハーマンには、それぞれ45年の懲役刑が言い渡された。