1999年リアジェット35墜落事故ペイン・スチュワート「ゴルフ界最大の劇的な死」

ペイン・スチュワートが生きていたら、タイガーウッズの第1黄金期を阻止していたかもしれない。

そう後世に語られるほどの人気プロゴルファーだったペイン・スチュワート。

ペインスチュワートは1957年1月30日アメリカ ミズーリ州生まれ。

79年にプロ転向し82年には初優勝。着実にプロゴルファーとしての道を進んでいたが、1994年に心臓病で一時離脱。

事故は1999年6月に行われた全米オープンを制し完全復活を魅せた矢先、それから4カ月後の10月25日。

テキサス州ヒューストンで開催される米ツアー最終戦のツアー選手権に出場するため自家用ジェット機の移動中に起きた事故だった。

アメリカ全土はもちろん、日本でも
「ゴルフ界最大の劇的な死」といわれたスチュワートの飛行機事故とはどのような事故だったのか。

スポンサーリンク



1999年リアジェット35墜落事故<事故詳細>

1999年10月25日午後(日本時間26日未明)

ペイン・スチュワートは自宅のあるフロリダからチャーター機として用意されたリアジェット35に乗り、次のトーナメントに出場する準備をしていた。

リアジェット35に乗り込んだのは、ペイン・スチュワートとマネージャーを含めた4人の乗客とパイロット2人。

総勢6名でオーランド国際空港から、ダラス・ラブフィールド空港へ向かい空港を飛び立った

13時19分、離陸。

高度39000フィート(11900メートル)まで上昇するように管制から指示があり、パイロットは13時27分18秒(5秒後)に応答している。

指示された高度まではオートパイロットで上昇した。

6分20秒後、高度36500フィート(11100メートル)地点を飛行時に管制官から交信を試みたが応答がなかった。

その後4分30秒の間に5回以上交信を試みたが応答はなかった

この頃、気圧維持装置の故障で機内では急減圧にみまわれ、キャビンの気圧が落ち、乗員は意識を失っていたのだ。

推測であるが、意識不明となった数分後には、そのまま全員が死亡したと思われている。

ペイン・スチュワートを乗せたリアジェット35はオートパイロットでそのまま飛び続けた。

この事態が管制塔から国防省にも連絡が入りアメリカ空軍が追跡を3回している(毎回別の空軍機で追跡をしていた)

追跡中に機内を確認しているが、ガラス全体が霜や氷に覆われているかのように曇って中を確認することは困難だった。

接近して追い越し気流を乱してパイロットに存在を知らせようとしたがこれも反応はなかった。

「内部は暗くて何も見えない……パイロットから反応はなく、我々を見たような動きも全く確認できない。」

引用:wikipedia.org

「コックピットの窓は氷で覆われており、補助翼・トリムなども動いていない。」

引用:wikipedia.org

リアジェット35の速度は音速と化し、最大飛行高度48900フィートで飛行。

17時10分41秒、リアジェット35の燃料が切れエンジンが止まった。

17時11分01秒、リアジェットは右に傾きながら降下。

「目標は降下しており、回転している。制御不能のように見えます…」

引用:wikipedia.org

17時13分、離陸から約3時間54分後、アメリカサウスダコタ州北東部で墜落。

ペイン・スチュワート享年42歳。

世界各国で「ゴルフ界最大の劇的な死」として事故をペイン・スチュワートを乗せたリアジェット35墜落事故は報道された。

スポンサーリンク



1999年リアジェット35墜落事故<まとめ>

飛行機は、燃料が切れるまで、サウスダコダ州まで飛び続けたが、このペイン・スチュワートが乗ったリアジェット35は当時リアルタイムにテレビで放送された。

実際の映像を含めたドキュメンタリー番組も放送されている。

それがこちら↓


一時はリアジェット35が市街地に落ちるのではないかというウワサが広まり、人口が多い地域に墜落しそうになった場合は国防省から墜落の指示も出た、と言うウワサが広まった。

しかし、ペンタゴンの当局者は「飛行機の撃墜は選択肢としてありえない。」とその可能性を公式に否定。

当時の報道官であるジョー・デラヴェドヴァも「どこから来た噂かわからない」と語っている。

確実に言えることとすればペイン・スチュワートが乗ったリアジェット35はリアルタイムで全米が注目をし、ゴルフ界は今後が期待されたプロゴルファーを失ってしまったということだ。

コメントの入力は終了しました。