【豊田商事事件】永野一男会長刺殺と不可解な疑問

1985年(昭和60年)6月18日、大阪市北区のマンションにたくさんのマスコミが集まっていた。

マスコミが集まっていたその理由とは、豊田商事会長・永野一男が「今日逮捕」との情報をキャッチして、永野一男自宅前に集まり逮捕の瞬間をおさえるためだ。

被害者3万人、被害金額2000億円の戦後最大級の巨大詐欺事件と今でも語り継がれる豊田商事事件

事件はそれだけではない。

豊田商事会長永野一男がテレビの生放送中に惨殺されるというショッキングな映像が世間に広まり社会問題になった前代未聞の事件なのだ。

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【豊田商事事件】とは

1985年金の取引が完全自由化になったことで事件が発生。

わずか4年間で被害金額2000億円、戦後最大級の詐欺事件それが豊田商事事件。

豊田商事とはどのような会社だったのか 。

豊田商事は1981年に会社設立。

設立当初から急速に拡大。

即、全国展開し駅前などの一等地などに支店・支社を置き、最盛期には60か所、従業員は約7500人となる巨大な会社となった。

しかしあくまでも会社が実在してはいたが、詐欺商法のうえに成り立っていた会社。

ペーパーカンパニーに他ならなかった。

豊田商事のやり方というのは至ってシンプルなものだった。

「金は今後必ず値上がりします」→資産として価値がある金を販売する。

「金は盗難に遭う恐れがあります」→金は豊田商事が預かると言うが金はない。

「金を豊田商事に預ければ利子がつきます※年利10%2年で15%~20%」→豊田商事の「預り証」を発行。

つまり金の受け渡しというのは実際にはなかったのだ 。

これらは 現物まがい商法(ペーパー商法)と言い商品を販売する一方で客に現物を渡さず、その商品の運用や商品の管理、保管などを行うという名目で、一定期間、預かり証等しか交付しない商法。

その被害者の多くは60歳以上の高齢者。

豊田商事の営業マンは、肩もみや、背中を流したり、料理を作ってあげたりと、情に訴えかけ、家族のように接し、警戒心が解けたところで投資話を持ちかけ契約にこぎつけていた。

しかし、そんな詐欺商法も長くは続くはずもなかった。

1985年、豊田商事の商法が社会問題化。

国民生活センターなどの問い合わせも次第に多くなり、国民生活センターには豊田商事関連の110番が設置された。

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【豊田商事事件】永野一男刺殺犯人と世論

詐欺商法の実態が明らかにされると豊田商事は破産宣告を受け、いよいよ豊田商事会長・永野一男が逮捕、と情報が流れた1985年(昭和60年)6月18日。

多数のマスコミ取材班が詰め寄った永野一男の自宅マンションで白昼堂々の公開処刑が生中継された。

その動画映像がこちら▼

永野一男がいた自宅マンションに突然、刃物を持った自称右翼の男2人が乱入した。

自営業の飯田篤郎(当時56歳)、建築作業員の矢野正計(当時30歳)。

2人は被害者ではなく、被害者の元上司に当たる者であると名乗り、被害者から「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと報道陣に語った。

「そろそろやろか」と言い出すと、玄関のドアをパイプ椅子で叩き、その後、玄関脇の窓格子を破りガラスを割ると、刃渡り40cmの銃剣を持って部屋に侵入。

永野会長を頭部や胸部など13か所もメッタ刺しにした。

侵入した窓から這い出してきた2人は全身に血を浴び、「警察を呼べ、俺が犯人や」と言い放ち殺人の現行犯で逮捕。

永野一男は緊急で病院に搬送されたが、出血多量で死亡。

それら一部始終マスコミはカメラや報道を止めず、アナウンサーが「子供には見せないでください!」と慌てて呼びかけながら全国に生放送され、史上稀にみる殺人事件となった。

当時、「マスコミはなぜ見ているだけだったのか」「現場にいた人はなぜ殺人を止めなかった」など現場にいたマスコミ報道陣に批判が集中した。

その一方で、一連の豊田商事の事件の悪行から長野一男を刺殺するという凶行にも心情的理解を示す声も多くあった。

実際、犯行を実行した二人はセンセーショナルな殺人を犯したにもかかわらず、飯田篤郎は懲役10年、矢野正計は懲役8年という実刑判決が下り、世間からも「詐欺事件を考慮した温情判決だ」と議論があった。

それだけ当時、豊田商事事件の被害が深刻だったことがわかる。

巨大詐欺事件の悪質性に加え、永野一男会長の生放送による暴力的表現の放送など、豊田商事事件の一連は様々な点で議論され、注目を集める昭和史に残る事件でもあった。

永野一男会長の刺殺事件をビートたけしが忠実に再現した映像動画があり、それだけ当時、話題ともなったことを象徴する映像だ。

永野一男会長の刺殺事件をビートたけしが忠実に再現した映像はこちら▼

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【豊田商事事件】の不可解な疑問

豊田商事事件から永野一男会長刺殺事件で不可解な疑問がいくつか残っている。

2000億円の行方は一体どこへ?

【豊田商事事件】での被害総額は2000億円と言われている。

当時の被害者弁護団が、被害者に1円でも返還できるよう活動し、当時駅周辺などの一等地の支店などの社屋を売却するなどして200億円を被害者に返還することができたが、それでも被害総額の10%程度。

残りの1800億円というお金については、未だ行方がわかっていない。

永野一男宅の放送された印象のギャップ

では、1800億円は社員や永野一男が使い込んでしまったのか?

豊田商事の当時の社員の給料は歩合制で月収1,000万円を超える社員もいたと言う。

会長である永野一男も同様に高級車を何台も所有しており、プライベートジェットまで購入していたと言われているが。

逮捕直前に放送されたマンションはごく普通のマンションであり、永野一男が殺害された時の所持金は711円。

殺害後に、高級車やプライベートジェットを売却しようとしたが、それら全てどこにもなかったという不可解なことが起きている。

飯田篤郎と矢野正計の不可解な犯行動機

主犯格である飯田篤郎は頼まれたからと犯行動機を供述し、矢野正計は飯田篤郎を慕い犯行に協力している。

しかし、飯田篤郎の言う「頼まれたから」は誰なのか分かっていない。

また、飯田篤郎は鉄工所を経営していたが、この鉄工所は多額の借金を抱えていて、競売にかけられる寸前だったと言い、事件後の飯田篤郎の口座には、借金と同じ額の金が振り込まれていたと言うウワサがある。

その他にも飯田篤郎と矢野正計の二人の行動には不可解な疑問が残っている。

永野一男が飯田篤郎と矢野正計に襲撃された当日は、永野一男自宅マンション前に警察が厳重体制で見張りをしていた。

にも関わらず、飯田篤郎と矢野正計がマンションに入る時には警察の見張りがなかったのだ。

この豊田商事事件から永野一男刺殺事件には事件後早くから現在まで黒いウワサが後を絶たない。

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