ホテル日本閣事件 戦後初の死刑を執行され映画にもなった小林カウとは

小林カウはホテル日本閣事件で戦後女性初の死刑執行となった人物。

なぜ小林カウは死刑執行される悪行に手を染めていったのだろうか。

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小林カウの生い立ち

小林カウは1908年、埼玉県小樽郡玉井村(現・熊谷市)の農家で7人の兄弟の5人目の娘として生まれた。

4年間で小学校を終え、約5年間家業を手伝った後、東京・本郷の旅館に女中奉公に出た。

1930年、玉井村に戻った小林カウは22歳の時、熊谷の在に嫁いだ姉の口利きで、新潟県柏崎市出身の林秀之助(当時27歳)と見合い結婚した。

林秀之助は病弱な体であり慢性胃腸病と慢性淋病を患っており、東京で男を覚えた小林カウは男として、また性欲的にも林秀之助に対し欲求不満であった。

結婚した翌年の1931年、小林カウと林秀之助は商売を始める。

長男が生まれるもその年に亡くなるも、翌年には長女が生まれた。

カウは不満ながらも、それなりにも幸せをつかみかけるが商売は軌道に乗らず夫婦は熊谷を離れ、東京周辺を転々とした。

この当時、戦争が激化。林秀之助も例外でなく徴兵となるも、元々病弱であった故に体調を崩し戦争から帰ってきた。帰ってきてからの林秀之助は廃人のように生きる希望すら見いだせないでいた。

終戦後にはカウたちは熊谷に戻り家を建てた。

この頃から病弱な夫に変わり家計を支えるために、商売を手広く行い始めている。

  • 自転車のタイヤのブローカー
  • ゴム、米、砂糖などの禁制品の販売
  • 菓子の五家宝づくり
  • 観光地向けの辛子漬
  • 芋のつるの砂糖漬の土産物製造卸売り

カウは商いについて天賦の才を発揮していたが、お金が貯まると共に物欲が強まっていた。

物欲とともに性欲も盛んで、この頃愛人も複数おり、体を使って仕入をしていたとも言われている。

秀之助は不倫に気づいていたものの、病弱な自分の変わりに家計を支えるカウに何も言えなかった。

中村又一郎との不倫

そんなある日、カウの家に若い巡査が現れた。

中村又一郎(当時25歳)。

スタイルもよく男前の巡査だった。

カウは禁制品を扱っていることで過去に警察に調べられたこともあり、後ろめたさから中村又一郎に対し贅の如くおもてなしをした。

気分が良くなった中村は、それからというもの中村はカウの家に頻繁に訪れるようになる。

カウはこの時すでに40代。

カウは中村を娘と結婚させることを考えていたが、性欲旺盛なカウは中村との関係ができあがった。

若くスラリとした男前の中村にカウは夢中になった。

そうなると邪魔になるのは秀之助の存在だった。

カウと秀之助は近所でもウワサになるほど大喧嘩をしていた

林秀之助、突然の死亡

1952年10月2日、秀之助が突然奇声をあげながら死亡した。

秀之助は脳出血と診断された。

性欲旺盛で勝気なカウに、近所では病気ではなく、カウが殺したのでは?というウワサも当時あった。

秀之助が亡くなってしばらくすると、カウは中村を家に招き同棲を始めた。

中村は以前からその素行の悪さが上司に知られており、それが原因で懲戒免職となった。

まだまだ若い中村を自分の元から離すまいとカウは経済力にものを言わせるために、ますます商売に力を注いだ。

当時20歳だったカウの娘はカウと中村の存在に対しと折り合いが良くなかったが、そんな同棲生活も長くは続かなかった。

中村は若い娘と結婚。

カウは中村の新居の表戸を蹴り続け、新しい妻に毒づき、転げ回って悔しがった。

わずか二年の同棲生活であった。

しかし、商売は順調であった。

精力的に商売を行うカウは、1954年、事件の舞台となった栃木県・塩原温泉郷にやってきた。

ホテル日本閣の買収

塩原にやってきたカウは地元住民ともすぐに親しくなり、やはりここでも商売は順調だった。

塩原に来て2年後には「那珂屋物産店」という土産屋、そして食堂「風味屋」を開業。

カウはその後も土地も買い、資産300万円ほどになり成功をおさめていた。

しかし商売に貪欲なカウはさらなる野心を持つ。

「温泉宿をひとつ持ちたい」

温泉宿の女将はカウの理想像であった。

しかしすでに50歳を超えたカウは年齢的にもあせっていた。

そんな時、カウは一つの情報を仕入れた。

「ホテル日本閣」が安値で売りに出すのではないか、とういウワサを聞く。

ホテル日本閣は小旅館でいわゆるBランク旅館。

経営が悪化しており300~400万円で投げ出すというウワサを聞いたカウはすぐに交渉に向かった。

交渉の相手はホテル日本閣の主人である生方鎌助であった。

しかしカウが聞いたウワサはデマであったようで生方鎌助は売る気はなく交渉は決裂した。

生方鎌助と妻ウメとは

生方鎌助は、1957年春にホテル日本閣を開業した。

ただ、開業の仕方が強引であった為、温泉組合からは受け入れてもらえず温泉宿の生命線でもある引き湯の権利がとれなかった。

そこで生方は自費で送湯管を敷いたが湯が冷えて、ボイラーで沸かし直すという設備の温泉を作った。

当然ながら、経営は厳しく客足も減っていくばかりだった。

鎌助は経営に悩みノイローゼになり、宇都宮の精神病院に入院している。

1958年夏に鎌助は退院したが、全快ではなかった。退院後には、誇大妄想を患いながら経営に携わっていた。

見かねた妻のウメは温泉宿を廃業にして出なおそう、と鎌助に言ったが鎌助は聞かなかった。

創価学会のご利益に頼り、翌年には新館の増築にかかるも建設途中で資金が尽きてしまい壊すにも金がかかるため中途半端な状態になって、鎌助はいよいよ追い込まれた。

そこで思い出したのが小林カウだった。

鎌助はカウに連絡をし、すぐに融資をもちかけた。

この時、鎌助が出した条件は

「ウメに対する手切れ金50万を出してくれれば、後釜に迎えてやる」というものだった。

妻・ウメの殺害

カウは「50万で温泉旅館の女将の座が買える」と、交渉は成立。

しかし、鎌助は手切れ金を30万に下げたところ、ウメは50万円を堅くなに譲らなかった。

「どうせウメは納得はしないだろう。であれば手切れ金を設備投資に回したほうがまだいい」とカウと鎌助はウメの殺害を計画することにした。

1960年1月中旬、カウは日本閣の雑役をしていた大貫光吉(当時36歳)にウメ殺害を命じた。

「手間賃2万円、ウメを殺したら抱いてやる」と言ってカウは大貫の手をとり股にはさんだ。

女性には全く縁のなかった大貫は50歳を過ぎたカウであっても魅力を感じ、思わずうなずいた。

しかし半月が経っても大貫は躊躇し実行しなかった。

2月8日 大貫に、今度は鎌助が「ウメは体が弱っているから今夜は間違いなくやってくれよ」

そしてこの夜、大貫はひとり寝ていたウメの首を麻紐で締めて殺した。

ウメの遺体は大貫がさらに手間賃1万円を受け取り元ボイラー室の土間を掘って埋めた。

その頃ウメの姿が見えなくなったこともあり町では「ウメは殺された」というがウワサが流れ始めた。

そのウワサを聞いた大貫は焦り、元ボイラー室の床をコンクリートで塗り固めた。

すると今度は「ボイラー室でウメが埋められている」という噂が流れた。カウ、鎌助、大貫は焦りうろたえた。

そこで3人はボイラー室の床を再び掘り返し、遺体を裏の林の中に運んで埋めなおした。

生方鎌助の殺害

1960年の大晦日午後5時過ぎ、ホテル日本閣の帳場の炬燵でカウは背後から鎌助の首を細引で絞めつけた。

そこへ大貫が鎌助にとびかかった。

暴れる鎌助にカウの持っていた細引が切れてしまった。

大貫は鎌助を押し倒し手で首を絞めた。

カウが大貫に包丁を差し出し、必死に抵抗する鎌助の首に包丁を刺し殺害した。

なぜカウは鎌助を狙ったのか?

それはウメ殺害直後、登記所に行ってホテル日本閣の名義がカウになってるはずが新館が旧館とともに近々競売にかけられることになっていたのだ。

つまり鎌助はカウを裏切っていたのだ。

ホテル日本閣の増築に200万を注ぎ込んでいた怒りに震え、鎌助殺害を決意。

事件前の11月、カウはまたも大貫に鎌助殺害を持ちかける。

今度はカウの体ではなく報酬とホテル日本閣の亭主というエサで大貫を巻き込ませた。

大晦日に殺害された鎌助をカウは、年賀の客に対し「鎌助さんは東京に金策に行きました」と話している。

鎌助殺害後、塩原の町ではウメの時よりもウワサが大きく流れていた。

とうとう新聞もこの旅館経営夫妻の失踪を取り上げ始め、警察も捜索を始める。

鎌助殺害からおよそ2ヵ月半後の2月20日、小林カウと大貫光吉は逮捕された。

逮捕後に発覚した秀之助殺し

逮捕後にカウは、前の夫・小林秀之助が死亡した件についても追求され、当時の不倫相手であった中村と、青酸カリで毒殺したことを認めた。

メッキ工場の社長が「制服巡査に青酸カリを渡したことがある」と証言したが、10年以上も前のことでその巡査が中村かどうかはわからなかった。

中村は一貫して容疑を否定。

ホテル日本閣事件ならびに熊谷事件<裁判の判決>

1966年7月14日 中村については証拠不充分で無罪、小林カウと大貫光吉には死刑が言い渡された。

1970年6月11日、小林カウは東京の小菅刑務所にて死刑が執行された。享年61歳。

戦後初の女性の死刑執行は小林カウとなった。

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ホテル日本閣事件をモデルにした映画

そのスキャンダラスかつ惨殺な事件は世の中を震撼させ何度か映画化されている。

1969年『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』(監督・石井輝男、主演・藤江リカ)
1984年『天国の駅 HEAVEN STATION』(監督・出目昌伸、主演・吉永小百合)

で公開されている。

吉永小百合はこの時、自身初の汚れ役を演じ話題を呼んだ。

また2014年には、宮根誠司がメインキャスターを務める『Mr.サンデー』内のドキュメンタリードラマで美保純が小林カウを演じている。

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