アメリカ本土に史上唯一爆撃した藤田信雄の半生

1997年9月30日、茨城県で一人の男性が亡くなった。

彼の名は『藤田信雄』

当時、日本ではこの『藤田信雄』が亡くなったということは、ほとんど報道されてなかった。

しかし、アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」では『藤田信雄』の死を大々的に報じたのだ。

「米国本土に爆弾を落とした唯一の敵、藤田信雄、85歳で死す」

そう、彼は第二次世界大戦当時、アメリカ本土に史上唯一爆撃した日本海軍の兵士。

しかし、藤田信雄はのちに敵対国アメリカから危険な招待状をもらうことを転機に、幾度となく渡米し世界平和を捧げる半生を送ることになる。

この『藤田信雄』という男はどのような人物だったのか。

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未だ明らかになっていない極秘ミッション

1911年(明治44年)10月に茨木県生まれの藤田信雄は1942年、激化する太平洋戦争時、日本海軍の偵察機のパイロットとして活躍していた。

当時、ミッドウェイ海戦での敗退で、日本は厳しい状態の中で起死回生を模索していた。

そこでこの偵察機のパイロット藤田信雄に極秘ミッションが告げられた。

「アメリカ本土を単機で爆撃せよ」

このミッションは日本軍部内でも極秘となっており、現在においても詳細は明らかになっていない。

援護もない単機での命がけの極秘ミッションを藤田信雄は承諾。

アメリカ本土へ旅立った。

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アメリカ本土を単機で爆撃

太平洋沿岸から潜水艦の零式小型水上偵察機「晴嵐」を飛ばし、アメリカ本土に入国した藤田が操縦する日本海軍機はオレゴン州に入った。

1942年9月9日早朝、ゲリラ的に森林に焼夷弾を落とし山火事を発生させた。

その目的は山火事。

アメリカでは山火事は恐れられており、そこを狙った攻撃だった。

藤田信雄の奇襲は見事ミッションを遂行したが、この山火事はすぐに鎮火され結果として、この攻撃が太平洋戦争に影響することはなかった。

アメリカ本土が爆撃されたのは歴史上初めてのことであり、アメリカ全土で大きな話題となった。

その後、藤田信雄は家族にもこのミッションを伝えることなく、若手パイロットの育成に従事していた。

しかし、藤田が育成したパイロットは次々と戦死。

このことに藤田信雄は耐え切れず、自ら特攻隊へと志願したが時同じく終戦を迎え、藤田信雄が特攻隊として出撃することはなかった。

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国も見放し自己責任で渡米した結末

終戦後、藤田信雄は地元の茨城県土浦市に戻り、工場勤めをしていた。

終戦からすでに17年も経過した時、そこで藤田の人生観を大きく変える事件が発生した。

1962年5月20日、藤田信雄は政府首脳より都内の料亭に呼び出された。

指定された料亭に向かうと、当時の首相である池田勇人首相と大平正芳内閣官房長官がいた。

その呼び出された理由というのが、アメリカ政府が藤田を探しており、アメリカのアゼリア祭りに合わせて招待したいと言ってきた招待状が届いているという内容だった。

さらにこの渡米については日米関係への影響を不安視した日本政府が、一切関知しないがアメリカに向かえ、とさえも告げられたのだ。

藤田は国のために極秘ミッションを遂行したにもかかわらず、国から見放され自己責任で渡米させられるということだ。

藤田信雄は戦犯として裁かれると腹をくくっていた。

自決用に400年間自宅に代々伝わる日本刀をしのばせ渡米した。

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「切腹」覚悟で投下地の訪問

1962年、藤田信雄が招待され向かったのは、奇しくも焼夷弾を投下した地、オレゴン州ブルッキングズ市。

「切腹」覚悟で到着した藤田信雄を待ち受けていたのは賞賛と大歓迎だった。

どういうことか?

ブルッキングズ市は、『アメリカ本土に史上唯一爆撃した男』というかつての敵国の英雄である藤田をアゼリア祭りというフェスティバルの主賓として招待したのだった。

藤田はアメリカの寛大さに触れ無知を恥じた。

そして藤田は切腹の為に持参した400年間、代々伝わる日本刀をブルッキングス市に寄贈した。

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アメリカ本土に史上唯一爆撃した藤田信雄の半生

82歳まで現役で働き続け1990年(平成2年)、1992年(平成4年)、1995年(平成7年)と3度ブルッキングスを訪問している。

1992年の訪問時には、自分が焼夷弾を投下した山にレッドウッドの苗木を植樹し2度と戦争が起きないことを願ったと言われている。

現在でもブルッキングス市では、藤田がアゼリア祭りに訪れた5月25日を「藤田信雄デー」として祝い、ワシントン、ダレス空港のスミソニアン博物館には旧日本軍の水上戦闘機「晴嵐」が展示されている。

亡くなる数日前にはブルッキングズ市の名誉市民となっている。

藤田信雄が日本のために決死の覚悟でおこなった極秘ミッションは、最終的にアメリカと日本をつなぐ架け橋となった。

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